2004年2月1日日曜日

第三十九回 海は光れり

加川文一(1904~1981)は当地(ロサンゼルス)で活躍していた詩人である。生前は地元の新聞や同人誌に詩やエッセイを発表していた。

文一の同士で、やはりロサンゼルスで文学活動を続けている作家の山城正雄さんから、加川文一の詩碑を建立したいので、君も賛同してくれないかと相談を持ち掛けられたのが2000年の羅府新報社が主催する新年会の席上であった。

ぼくはすぐに同意をしたものの、君が中心になってやってくれないかと庶幾されたので、しばらくのあいだ返事をするのを保留していた。

その後、山城さんがとても熱心な方であり、彼の熱意に胸が打たれてしまったので、ぼくは山城さんを実行委員長に据え置いてから、各方面へ詩碑建立のための理解を求めて奔走した。

聞くところによると詩碑を建立する場所が、日米文化会館の敷地内であることが既に決定しているらしい。ぼくはそこまで話が進んでいるのなら、ことの半分は終わったも同然であると楽観してしまった。

ぼくは早速、文一と交流が深かった地元の文人たちを招集して、詩碑建立の意義や文一の詩や文学論についての紙上座談会を挙行した。それと同時に、詩碑建立のための基金を羅府新報や各メディアを通して呼びかけた。

約六ヶ月間で二万ドル余りの基金が集まったので、2トン近くある石碑の原石をメキシコから取り寄せた。後は建立する日取りを決定すればよかった。

そうこうしているうちに、日米文化会館が敷地内の建立を拒否してきた。その代わりに、文化会館に隣接している引退者ホームの中庭に建立する旨を伝えてきたが、結局は引退者ホームの理事会からも拒否されてしまった。

従って現段階では、ニューオータニ・ホテルの斜め向かいに新設されているロサンゼルス市立図書館/リトル東京分館(本年秋、完成の予定)の中庭が最有力候補となっている。

ニューヨークやサンフランシスコと比較して、文化不毛の地と揶揄されているロサンゼルスにおいて、無名詩人の詩碑が建立される意義は非常に大きい。しかも日系社会での出来事である。

かつてアメリカのメディアは、日本には詩人が一千万人いると報じたが、花鳥風月を愛でながら詩歌に興じる国民性を絶賛したのである。このことは主に定型詩のことを言っている訳であるが、俳人や歌人とて詩人である事に変わりはない。

けれども、日系人で文一の詩碑建立の意義を軽んじる者の殆どが、ホイットマンやベルレーヌ、或いはポーやボードレールといった詩人の名前すら知らないということだ。些か失望したことは、往時の加川が、割と有名な方だったのですね、と言って、改めて彼を評価する日系人が多かった事実である。作品の内容ではなく、有名、無名が評価の対象になるとは、真に次元の低い話である。

加川文一や山城正雄さんらと同士である藤田 晃さんは、『南加文芸選集』(れんが書房新社)の解説で、次のように述べている。

アメリカにおける日本語文芸の一つの流れとして、『鉄柵』→「十人会」→『南加文芸』という系譜がある。
『鉄柵』は戦時中、ツール・レイキ隔離所で発行され十号までつづいたが、終戦と同時に廃刊となった。「十人会」は1956年、『鉄柵』の同人を中心に、ロサンゼルスで結成された文芸人の月例会であった。同人誌は発行せず、主に『羅府新報』の文芸欄に寄稿、ささやかに活動していた。
それから9年後の1965年、『南加文芸』の発刊を見るわけだが、すでに戦後20年経過していたこともあって、会員たちの多くは四十代半ばに達していた。 

ぼくは思う、加川文一の詩碑は、ツール・レイキの日系人強制収容所で創刊された『鉄柵』から現在に至るまでの、日系文芸人の『気魂』を象徴するモニュメントであると。その代表として、文一の詩『海は光れリ』が選ばれたのである。

そして何よりも光栄なことは、石碑に刻まれる英訳の方は、ぼくが翻訳したものが委員会で可決された。






海は光れリ

貧しさを時に歎けど吾が世帯
こまごまと物のふえてゆくなり
(桐田しづ)

丘より見ゆる海は青し
夏の畑につくりし
胡瓜のごとき色を
にがく走らせたり

海はひねもす
わが乾ける瞳を刺し

われは此処に住みて
はや四年(よとせ)となりし
わが生活はまずしけれど
まづしさも己のものぞと
一筋にがき海に向かひて
語りきたれる

妻よ
今日も海は光れり
人の住む陸を抱きて
するどく海は光れり

The Sea Shines

My poverty saddens me, at times, but at home
Things increase in number, bit by bit
─ Shizu Kirita ─

Seen from the hills, the sea is green
A color like the cucumbers we grew in the summer
Running to bitterness.

All day long, the sea stabs at my dry pupils

We have lived here for four years already
Our life is poor
But this poverty, too, belongs to me
I have come to tell myself
Facing straight toward the bitter sea

My wife,
The sea shines today also
Embracing the land in which man lives
The sea shines keenly.

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