グレンデールのフォーレストローンへ行くと、黄金(こんじき)に輝く『天国の扉』を鑑賞することができる。
ロダン作の『考える人』は、本来『地獄の門』の上に施された彫刻であった。高い門の上から冥府を見渡しながら、苦悶している姿が『Thinking Man』なのだそうだ。
図書館へ行くとロダンの『考える人』のレプリカが、中庭に置かれていたりする。その身構えは苦悩している形相に見えるどころか、洋式トイレの便器に腰をかけて、用を足している格好のようである。
人間は狭い手洗いの中で独りっきりになると、どういう訳か物事を良く考えられるようになる。それはきっと、トイレは「思考」したり「空想」したりする場所であるからだ。(?!)
小学生の頃、和歌山県の小さな破れ寺で、和尚さんの説教を聴いたことがある。
「嘘をついたり、悪戯(わるさ)ばかりしていると、地獄へ行くぞ」
和尚は地獄がいかに恐ろしいところで、塗炭の苦しみに満ちているかを、老若男女を前にして延々と語り続けるのである。
元来、仏教には地獄という概念が存在していなかった。人々を戒めて改心させるための説教であるのだが、不埒な行動を平気でやってのける人間を前にして、極楽浄土への教えを説いただけでは迫力にかけていた。
そこで仏教はヒンズー教から地獄の観念を取り入れたのである。ヒンズー教には神の国である天上界、人間の住む地上界、そして悪魔がうごめく地底界がある。この『三界』の一つである地底界は更に七つに区分されていて、その中の一つに閻魔(エンマ)大王が君臨している。死者は閻魔によって生前の行為を裁かれるのだが、その、どん底をサンスクリット語でナラカ、音訳して奈落(ならく)と呼んでいる。
先日、ぼくは地獄の夢を見た。その夢の時代背景は昭和の初めで、場所は地方の火葬場であった。夢の色は漆黒で鉛色の部分だけが幽かに見えている。音も聞こえてきた。その音色は琵琶(びわ)をかき鳴らす不協和音。古びた粗末な祭壇が両側にあって、どういう訳かその中央に小さな食堂がある。腰の曲がった異様に髪の長い老婆が、ぼくの所へうどんを運んで来た。老婆は無言でうどんの入っている丼鉢を、ぼくの前へ差し出してから顔を上げた。婆々(ばば)の顔は焼け爛れて目も鼻も口も潰れていた。ぼくは死人を焼く窯が、いくつも並んでいる火葬場の前に立っている。今までに体感したことの無い霊鬼に魅入られて、漆黒の奈落へ凄まじい勢いで引っ張り込まれた。
夢の場面が急変した。ぼくは独りで歩いている。まるで映画のセットさながらのどんでん返しで、目の前は藍色の大空が広がる。場面はアメリカ、何処かの都市郊外。真っ直ぐな道を歩いて行くと、前方に三角屋根の教会が見えてきた。同時にアメージング・グレイスの伴奏が流れてきて夢は終わった。
ぼくは学生時代、仏教学を専攻していた。東洋哲学は実践の哲学でもあるので、修業は必須であった。京都の町を僧侶の出で立ちで托鉢した。チベットへ修業留学する予定でいたので、そのための準備も進めていた。
やがて、ぼくは用意万端ととのえて、チベットへ向かう機中の人となった。飛行機が離陸して暫らく経ってから、機内放送が流れた。
「この飛行機はアンカレッジ経由でロサンゼルスへ向かいます」
一瞬、ぼくは自分の耳を疑った。同じアナウンスが再び機内に流れた。ぼくは大きな声で叫んだ。
「すみません。次の駅で降ろしてください!」
そこで目が覚めて夢は途切れてしまった。
ぼくは今、ロサンゼルスで生活している。往時見た夢は正夢となった。そして、イエス・キリストと出会ったのである。
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