先頃、羅府新報社の長島編集長から電話を頂いた。
「今年も懸賞文芸の審査を宜しくお願いします」
ボイスメールにメッセージが残されていた。
昨年の九月、ロサンゼルスで星野富弘『花の詩画展』が開催された。企画実行委員であったぼくは、『星野富弘/エッセイ・コンテスト』の審査委員長も務めさせて頂いたが、毎年この時期になると文芸賞やコンテストの審査に借り出される。
ぼくはニューヨークと日本の雑誌に、毎年年末に公表される『詩のコンテスト』の選考を依頼されている。同じくぼくが担当している羅府新報の『ポエム・サロン』(読者からの詩の投稿欄)でも、同時期に年間賞を選出する役目がある。そこに日本語学校や各団体からスピーチ・コンテストの審査の要請が入ると、少しスケジュールが過密になってくる。
何百通とある応募作品の原稿を、一つひとつ丁寧に読みながら講評を書いていく作業は、心が弾んで実に楽しい思いになれるのであるが、一方で、幾つか抱えている連載の締め切りに追われながら、ミーティングや取材に出掛けて行く。時間の隙間を利用してスポットの原稿を書き、山ほどある雑用を次から次にこなしてゆくと、書き下ろしに専念する暇(いとま)が無くなってしまうのだ。
今月の始め、
「今からニューオータニ・ホテルのボール・ルームで、国際アート・フェスティバルの開会式を行なうにあたり、各国の芸術家が入場する前に『詩』の朗読をする。よって、それに相応しい貴兄の『詩』を朗読してほしい。直ちに現場へ急行せよ!」
本番45分前、寝耳に水であったが依頼人の声は切羽詰まっている。随分無謀な依頼が飛び込んで来たものだ。当惑するぼくに依頼人曰く、
「神に祈る思いで、とっさに新井さんの顔が浮かんだ」
そのように言われると、ぼくの方こそ恐縮してしまった。誠に光栄なことだ。詩人冥利に尽きる。
昨月はパサデナ学園の入園式へ招かれた。紙芝居を上演するために、(財)『耳文庫』の皆さんと一緒に学園を訪れた。集まった生徒は70人ほどおり、先生と父兄の方々も紙芝居を鑑賞してくださった。学校側からの希望で、創作紙芝居『カルボの夢』を上演する事になった。この物語の主人公は仔象のカルボ、名前の由来はカリフォルニア・ボーイを縮めてカルボにした。推奨の辞を書いてくださった小泉首相も、この物語と絵を大層気に入っておられる。とは側近からのE-メール。
翌日の夕方、パサデナ学園の主事の先生から電話が掛かってきた。先生は堰を切ったように話しだした。
「約20分近く、70人の子供たち全員が、水を打ったような静かな態度で、食い入るようにして紙芝居を鑑賞していました。子供たち全員があんなに長く静かにしている姿は、本校始まって以来です。あの後で教職員一同集まり、異口同音に歓心を表わしていました。あの子供たちの姿勢がすべてを物語っています。素晴らしい紙芝居を有り難うございました」
それから二週間ほど経ってから、学園の生徒の皆さんからお礼状が届いた。クレヨンで象の絵を描いたお礼の作品が、大きな封筒の中から何枚も出てきたので、ぼくは感激してしまった。こんなに喜んで頂いて、こちらの方こそお礼を言いたい。
少し遅れぎみであるが、こうなったらやりますぞ、『ケーキ紙芝居』。甘くて美味しい四角いケーキの上に、クリームなどで絵を描いて、ケーキで紙芝居を作る。10枚ぐらいのケーキを予定しているが、只今一流のケーキ職人さんと交渉中。紙芝居が終わったら、みんなで紙芝居のケーキを食べる。さながらお菓子の国へタイムスリップ。子供たちに、いや大人の方たちにも夢と、メルヘンの世界へ浸っていただきたい。そして美しい日本語とクリームだらけになって、戯れていただきたい。
数ヶ月前、紙芝居のPRを兼ねて地元のラジオ局に出演した折、控え室で待っていたら、その日のゲストが次ぎ次ぎにやって来た。その中の一人である日本舞踊の花柳若奈師匠と話が弾んだ。
「きょうは、どのような話題で・・・ 」
「紙芝居です」
「へー、なつかしいこと」
「こちら(アメリカ)はどのくらいになりますの」
「早いもので20年になります」
「ずーぅと、紙芝居やられているのですか!? 」
(だれがやるかー)
土曜日の午前10時、拙稿を書き終えてから、13ヶ月の愛娘と一緒に片道約2時間のロング・ドライブに出掛ける。ラスベガスへ行く途中の砂漠のど真ん中で昼食を済ませた後で、創世記を朗読するつもりでいる。神様が創られた大自然を背景にして、ダイナミックに語ってやろうと思う。何だか紙芝居の原点が、ここいらにあるような気がしてきた。
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