世界中の子供たちが応募してくる図画コンクールで、金賞を受賞した作品数点を鑑 賞した。どの絵画を観ても発想、構図、配色に優れていて度肝を抜かされた。その瞬間、ぼくの体は熱く熾り、血液の色が萌黄色へと変色した。やがて新鮮な感動が、ぼ くの体の中を駆け抜けて行くのが分かった。
子供たちが描く絵画や詩を鑑賞していると、斬新かつ無尽蔵の感性に目が釘付けにな る。詩は言葉の問題があるので、世界規模のコンテストは難しい。その点、音楽や美 術の世界は言葉の壁を超越して、お互いの作品を理解し合える。ぼくは子供たちの詩 画を鑑賞するのが大好きだ。新しい手法を発見したり、子供離れしているテクニック に驚嘆する。
ぼくは今、『詩の見方』と題したエッセイを新聞に連載しているが、子供たちの詩 を
「日本の雑誌に、日本人を超辛口で批判するニッポン考を書け」、「コラムを差し替え たいので、今から君が書いて一時間後にメールしてくれ」、「ジョージ武井著の、翻 訳と出版のプロデユースを頼む」、「カリフォルニアの刑務所の独房で、18年間過ご している終身刑の詩人の出版を手伝え」、「ハリウッドの俳優と離婚した、元妻であ った日本人のゴースト・ライターを引き受けてくれないか」。最後は暴露本だったの でお断りした。
話は変わるが、先日ニューヨークへ出張するべく夜間飛行の便に搭乗したのだが、乗 り継ぎの便がエンジントラブルで欠航したために、ラスベガスで足止めを食らった。 明日の朝一番の便でニューヨークへ向かっても、マンハッタンに到着したら夕刻を回 っている。それでは仕事にはならないので、ぼくは予定を変更して、6時間掛けてグ レイハウンドバスに乗ってロサンゼルスに戻ることにした。
バスの出発時刻まで小一時間程あったので、ぼくは近隣のホテルのスナック・バーで ホット・ドックを頬張りながら、ピアノの生演奏を聴き入っていた。時刻は平日の午 前2時だというのに、カジノには大勢の人だかりが見える。時折、ルーレットのテー ブル辺りから、甲高い喚声が上がる。みんな酒を呷り、煙草を吹かしながら、ギャン ブルに興じる上気させた顔つきは真剣そのものだ。
そんな光景を目の当たりにしながら、ぼくはつと考えた。ギャンブルで繁栄し続けて いる不夜城、ラスベガスの街を見て、『菊と刀』を書いたベネディクト風に言えば、 真面目なアメリカ人は罪であると感じ、勤勉な日本人であるならば国の恥だと思うと ころである。
独立宣言書は『旧約聖書の創世記』を前提にして記されている。初代大統領のワシン トンは、「賭博は貧欲の子供であり、不正の兄弟であり、不幸の父である」と述べ た。
パスカルは神の存在に賭ける方が、神の非存在に賭けるより、遥かに合理的な選択 であるという論理を『パンセ』の中で談じている。これは単に損得だけの論議ではな い。精魂を傾けて神に賭けた以上、具体的な実践の手掛かりがつかめて、聖書に啓示 された神の言葉を、「絶対なる威光」として受け入れることが出来るのである。
人生を欲望への賭けとして歩まないで、望んでいる事柄を確信して、まだ見ていな い事実を確認する事の出来る、神に称賛される信仰と希望と愛に、全身全霊を賭けよ うではありませんか。
0 件のコメント:
コメントを投稿