2004年5月1日土曜日

第四十五回 ちょっとぼやいて微笑んで

甥の英史がラスベガスで結婚式を挙げるというので、親族ら九人でロサンゼルスにやって来た。夕刻、ぼくは彼らをレストランへ案内した。アメリカではレストランに入ると、まず、受付で人数を聞かれてからテーブルへ案内される。少し畏まったレストランでは予約が必要となり、人気のあるレストランでは前以て予約を入れておいてもロビーで待たされることがある。
かつてレストランで順番を待っている時に、ぼくは予約係の男性に質問をしたことがあった。
「テーブルがたくさん空いているのに、どうして長いこと待たされるのですか?」
予約係の男性曰く、ウエイトレスやシェフがお客様に最高のサービスを提供できるように、完全に準備が整ってから案内するように心がけている。
正しく一理ある言い分である。けれども最高のサービスとは、まず、客を待たせないように配慮すべきではないのか。
ホテルが完全にコンピューター化されるようになってから、チェックインの際に随分と待たされるようになった。ホテル側は、より快適に過ごしていただくための手段であると言明しているが、これまた迷惑千万な話だ。
それまではフロントで自分の名前と住所を記入すると、フロントマンが後ろの壁に並んでいるキーボックスから部屋を選んでくれて、直ちに部屋の鍵をわたしてくれたものだ。ものの五分とかからない。
ところがコンピューターを導入したものの、新米のフロント係りがコンピューターの操作の仕方を十分に把握していないことがある。早速スーパーバイザーが現れて、やおら客の目の前でトレーニングを始めるから、呆気に取られてしまう。それからゆっくりと時間をかけて記載すべき事項を入力する。客は立ったまま延々と待たされる羽目になる。特に八十年代から九十年代にかけては最悪であった。
空港のチェックインカウンターなどでも、同じような事態が頻繁に起こるのである。挙句の果てには、予約を入れた際に自分たちの入力ミスを棚に上げておいて、予約が入っていないと言い張られる始末だ。
ぼくが旅行会社を経営していたことは、以前、本欄にも書いたが、航空会社と顧客の間に介入して航空券を発券するのが代理店の役目である。だが、当方で万全の体制で臨んでいたとしても、顧客と航空会社との間でトラブルは尽きる事が無い。
当然、顧客は代理店にクレームをつけてくる。ぼくは航空会社の杜撰な対応振りに辟易したが、それにも増して、弊社の信用問題にも関ってくるので非常に深刻であった。
企業側は顧客対応のマニアルを作成して、現場のサービス向上に一層の努力を惜しまない。ところが幹部が理想としているマニアルと、現場で働いているスタッフとの間に、余りにも大きな隔たりがありすぎる。
コンピューターだ、やれマニアルだと、いかにも最先端の技術を駆使しているように思えるが、人間を思い通りに動かすためには、一筋縄では行かない。まず、何よりも人の心を捉えなければならないと思う。なぜならば心と心の触れ合いが基本であるからだ。心が通わなければ、お互いの信頼関係が築けるはずがない。誰にでも分かっているようなことであるが、これがなかなか尋常の手段では解決しない。
「人の心をご存知である神は、聖霊をわれわれに賜ったと同様に彼らにも賜って、彼らに対してあかしをなし、また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもされなかった」(使徒行伝15:8)
ぼくの知り合いに幼児教育の専門家がいる。彼女は講演会や本を書きたいという意欲はあるものの、日々、雑務に忙殺されるので歎いている。そのような理由があってかどうか知らないが、ぼくに話しかける際や子供たちと接している間中、彼女の表情は終始仏頂面なのである。
そこでぼくは彼女の心情を察知した。きっと彼女は幼児教育というものを、自分の明晰な頭脳でだけ理解していて、「こころ」の中に芽生えてくる美しくも豊かな感性を、おざなりにしているのだと。
クリスチャンでも陰気で性格の暗い方がおられる。また、ノンクリスチャンであっても、底抜けに明るくて如才のない方がいる。
常日頃感じていることであるが、伝道で一番大切なことは日頃の柔和な笑顔であると思う。キリスト教に反感を持っている者に対して、真っ向から御言葉を伝えることは却って逆効果である。
パリのルーブル美術館にある『モナリザ』は、微笑んでいるからたくさんの人が一目見ようと集まってくる。
日本の全クリスチャンが、キリストの香りを馥郁と漂わせるような破顔で、のべついることが出来れば、もうそれだけで日本の国にリバイバルが到来する。
「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい」(ピリピ4:4)
(あなたの)微笑みは愛を伝える最良の証しとなる。

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