2004年7月15日木曜日

第五十回  ジョイ

子を持つ親はみな一往に、子育てについて悩むことがある。ぼくにおいても、如何にして子供を育てるべきか、日頃よく考えることがある。
或る日、その答えが閃いたのである。その第一の法則とは、月並みであるが母親と父親が互いに愛し合い、夫婦の仲が睦まじくて家庭が円満であること。これに尽きる。
子供は毎日、両親の姿を見て育っている。従って仕事においても家事においても、両親が一生懸命になって取組んでいたら、子供は自ずと成長していくものだ。
ぼくの友人の長女は、現在、公立の小学校で教師をしている。先日、彼女と久し振りに出会って話し込んでしまったのだが、驚いたことに、彼女が受け持っているクラスの子供たち全員が、何とオリジナルの両親ではないという。
このように教育現場において、離婚大国アメリカの深刻な問題が伺えるのである。離婚するに至った経緯については、それぞれに異なった理由があるだろう。けれども、一度は愛し合ったものの、その後は不仲になって別れるに至った事実は皆同じである。
自分の父親と母親が離縁した挙句に、再婚に、連れ子に、異母(父)兄弟、養育費と、益々家族問題は複雑になるばかりだ。個人主義か何だか知らないが、金品を与えてさえおけば子供は成長するというものではない。
肝要なことは両親の深い愛情と、取分け父親と母親の仲の良さが、子供を育てる上で最も重要な影響を及ぼしている。先日、合同教会で持たれた、滝本 明師をお招きしての聖会のメッセージでも、同じことが語られていた。
主義主張だけを貫いておいて、忍耐の介さない自由主義などは、まるで新約聖書の放蕩息子(ルカ:15・11~32)と同じではないか。
また、日本の国とて同じである。戦後、日本のライフ・スタイルはアメリカからの影響が顕著であった。ぼくも、若い頃には随分とアメリカにあこがれた。そして今、アメリカに住みながら日本の国を外から眺めていると、あれこれと気づかされることが山ほどある。
幼い子供が、悪い言葉遣いばかりを直ぐに覚えたり、思春期の子供が、夜遊びや悪友に興味を抱いたりすることがあるように、私たちはアメリカの優れている習慣や、寛容的なものの考え方を享受しないで、アメリカの「影」の部分だけに心を囚われていないだろうか。このことについては、若者を煽動する一部の大衆メディアにも多大な責任があると思う。
話が少しわき道に逸れてしまったが、最近、つと感じることがある。間もなく満三歳になる娘のジョイが、かわいくてかわいくて仕方がない。今が世で言う一番かわいい盛りだ。子供を育てる前までは、子供がこんなにもかわいいなんて、全く想像もしていなかった。「目の中に入れても痛くない」という慣用句が、つくづく身に沁みる今年の盛夏なのである。

父の日に  
「詩を書いたの」
娘が言った
「ジョイちゃん
きらきら星になったの
つづきを書くよ

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