2004年4月15日木曜日

第四十四回 駿河路や はなたちばなも 茶のにをひ

日本は今、俳句ブームである。アメリカで二十年以上にわたって生活をしていると、日本にいた時分よりも、自然と日本的なものへ心が惹かれるようになって来る。定型詩もその一つであろう。

渡米前、大阪にいた頃に、鮨屋の二階にある座敷に上がり込んで、作家の川崎彰彦さんや俳人の近松寿子さんらと一緒に、連句に興じた時期があった。

川崎さんは五木寛之さんと早稲田の露文科の同期である。後輩には詩人で作家の三木卓さんもいる。二十五年程前には、五木寛之さんはもう既に、押しも押されもせぬ流行作家として活躍されておられた。颯爽とポルシェに乗りながら、どんどん入ってくる仕事をこなしておられた。

一方の川崎さんは『蛍雪壮』という学生の寄宿舎で、随分と慎ましやかな生活を送っておられた。当時の川崎さんは同人誌に小説を発表しながら、大阪文学学校の講師として活動されていた。

五木さんは時代の波に豪快に乗っかったが、川崎さんはいたって不器用な人であった。けれども、詩人の小野十三郎さんだけは、川崎さんの才識を高く評価されておられた。

ぼくも川崎さんの文学的天分は認めざるを得なかった。よってその頃は、川崎さんから学ぶことが数多とあったのである。

随分と前置きが長くなってしまったが、この度は一頃の俳諧の思い出話や、川崎さんのことを書くつもりは毛頭ない。俳諧師、松尾芭蕉の俳句について、少し論じてみたいのである。

♪ 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る  あれに見えるは茶摘みじゃないか...
立春から数えて八十八日目は五月二日。東海地方では四月下旬から五月上旬にかけて、(新茶の)茶摘みが行われる。

静岡にある『世界緑茶協会』事務局が監修しているエッセイを読んで、ぼくは、はたと反論したくなったのである。そのエッセイは芭蕉の「駿河路や はなたちばなも 茶のにをひ」という有名な俳句を引用して、「茶の匂い」について言及しているのであるが、まずはその文章をここに紹介したい。

「国文学者はすべて、この茶のニオイというのは新茶の香りだと解釈していますが、ちょっと待ってほしい。芭蕉がこの句を詠んだのは旧暦の五月中旬。太陽暦に換算すると6月初めになります。新茶の季節はとっくに終わっています。では、タチバナの香りすら圧倒するという茶のにおいはどんな匂いだったのでしょうか。

現在でも西日本の山沿いでは自家用の番茶をつくっているところがたくさんあります。ほとんどは生葉を釜で炒り、ムシロの上で揉んでから天火干しをしたものです。お茶を炒るのですから、非常に香ばしい、いい匂いがします。(中略)

芭蕉がかいだ茶の匂いは、黒製とも呼ばれた釜炒り茶の強い炒り香であったとみて、おそらく間違いないでしょう」

それでは、ぼくの見解を釈義させていただこう。芭蕉が江戸から東海道を京へ向かっていた途中で、大井川の川留めにあって島田で四泊する。この「駿河路や はなたちばなも 茶のにをひ」は、芭蕉が駿河路に入って間もなくして詠んだ句であると考えて差支えない。

芭蕉は余儀なく足留めされた期間に、例えば農家の軒先や投宿先の窯元で、黒製の強い香りの茶の匂いをかいで、この俳句の直接原因とはしていない。この句の初めが「駿河路や」で始まっているように、あくまでも芭蕉が駿河路へ差し掛かった折の、第一印象を詠んでいるのである。よって、釜炒り茶の強い炒り香であったと定義するのは誤謬である。

次に、「はなたちばな」とくれば季語は夏である。従って六月の初め頃と考えて問題はない。それでは新茶の季節はとっくに終わっているではないか、と反論されるだろう。即ち、四月下旬から五月下旬に初摘みされる一番茶ではなく、二番茶が収穫される六月の駿河路を芭蕉は詠んだのである。

お茶の収穫期は四月下旬から九月までである。その期間に四回にわたって収穫が行われる。よって芭蕉は、収穫されたばかりの新茶を味わいながら、二番茶の茶摘みをする農民たちの姿を横目に、駿河路を後にしたのである。

閃きと自然をとらえることにかけては、超一級の感性を携えていた俳聖芭蕉が、駿河路に差し掛かった時点で、その感動的瞬間を逸するはずがない。

定型詩も含めて詩は、その題材の内容を理解しようとする際において、専門家や学者たちの博識だけに依頼すると、無味乾燥とした想像力に乏しい結末に陥ることがある。まず、第一に、自分がその詩の中に入り込んでしまうことが何よりも枢要である。そして詩人の魂やら詩人の眼を凝らしながら、すべてを解放させて、作者に変身したつもりで、その作品に取り組んでいただきたい。

聖書を読む場合においても、その時代背景と状況に深く入り込んだ上で、自らが主人公になったつもりで、ゆっくりと読みすすめて行くと、感慨もひとしおであろう。ぼくは福音書を読むたびに、イエス・キリストこそ(詩を書かない)真の詩人であったと痛感するのである。

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