2005年11月7日月曜日

第八十回  近所の蕎麦(そば)屋

拙宅の近くに旨い蕎麦(そば)屋がある。わざわざ日本から取り寄せた蕎麦の実を、石臼で惹いて蕎麦粉を製しているらしい。アメリカ広しといえども、手打ちの蕎麦を食べさせてくれる日本食レストランは、そうざらにはあるまい。それだけに希少価値があるというものだ。
ぼくは仕事の合間を見計らいながら、気が向くと蕎麦屋に足を運ぶ。いつも注文する品は、蕎麦粉だけしか使っていない十割蕎麦と決めている。三年ほど前から、店の屋号を染め抜いた江戸紫の暖簾を潜っているが、未だに同じものしか用命したことがない。蕎麦の食べ方はというと、ここは一応アメリカなので、蕎麦をつけ汁に浸した後は、音を立てずに静やかに食すことにしている。そして、時おり付合わせの掻揚げを箸で摘んでは、これまたつけ汁に浸してから口へと運ぶ。薬味が乗っている手塩皿には、葱(ねぎ)と山葵(わさび)が盛られていて、うずらの卵などは配されていない。その代わりに、つけ汁の中には刻んだ三葉があしらわれているので、つと和国の風情を察してしまう。
蕎麦には多くの品種があるらしいが、通常は夏蕎麦と秋蕎麦に大別されているようだ。歳時記によると蕎麦の季語は秋になっている。アメリカに住みながらにして、日本の爽秋を味わえる一品といってよいだろう。
箸で摘み上げた蕎麦をつけ汁に浸していると、めくるめく秋の声が仄めきだして、秋麗(うらら)な故郷の彩が脳裏にたなびく。やがて三葉の青い香りが鼻孔に漂い、瑞々しい香気が脳の内部にぱーっと吹聴される時、茹でたての盛(さか)りの蕎麦が、つけ汁のなかで綯い交ぜになっている葱と山葵と三葉のスパイスを引き寄せると、いよいよぼくは、まったりと芳しいミニュエットの様な食感に酩酊するのだ。その、歯応えのある蕎麦の妙味たるや…… 一昨日、ぼくはこのような思いにかられながら、旬の蕎麦を賞味したのである。
江戸っ子は盛蕎麦を食べる際に、つけ汁を殆んどつけないで食べるのが流儀であると聞く。つけ汁の濃度にも違いがあるのだろうが、薄口を好む関西辺りでは蕎麦をつけ汁にたっぷり浸してから、実に旨そうにお蕎麦を啜り上げて食べている。「死ぬまでに一度でよいから、つけ汁に蕎麦を浸して食べてみたい」。定かではないが、このような江戸の川柳があった。痩せ我慢も江戸っ子にとっては、小粋な気風に通ずるのだろう。
蕎麦は酒の肴にもなるし、飲んだ後の仕上げに食しても喉越しが良い。件の蕎麦屋には、おつまみ用のメニューが用意されているので、夕刻からは飲み客で賑わうようになる。先ほどから、カウンター席に鎮座しているぼくの前で、この店のマネージャーらしき三十路半ばの女性が、仕入れ先より電話を掛けてきた店主から、今晩の「おすゝめ」としてメニューに載せるネタを聞きとりながら、厚手の白い紙に書き込んでいる。
電話での遣り取りは、ぼくの目と鼻の先で行なわれているので、話しが筒抜けである。女のマネージャーは、寒鰤(かんぶり)の「カン」はどんな字を書くのか、電話で店主に訊いているのを耳に挟んだ。ぼくはあきれてしまった。日本食レストランに携わるマネージャー兼ウエイトレスが、しかも、酒の肴を取り扱う者として、プロ意識に欠けるのではないか。もし顧客から寒鰤とはどのような魚であるのかと問われたら、この女性は果たして説明できるのだろうか。ぼくは他人ごとながらも、あやぶみを抱き始めたのである。
日本近海で獲れた寒鰤の刺身はトロよりもはるかに旨い。旬は冬季である。その上をいくのがヒラマサである。従ってお品書きのコピーは、『トロより美味な寒ブリの刺身』。これくらいの当意即妙がなければ、マネージャーとして失格である。
カウンター席に座っている客に対して、カウンター越しに料理をサーブするレストランがある。それでも帰り際には、ビルの下にチップを置かねばならない。何も、せこいことを言っている訳ではない。全ての給仕に言えることであるが、客はプロのサービスを期待しているのである。海外へ出向いて行って、同胞のレストランで働くことは、比較的容易くて直ぐにお金になる。だからといって、踏み台的な職場意識を持つことは止めてほしい。曲がりなりにも、顧客から代金を頂くのである。お金を貰う以上はプロである。ぼくが言いたい事は、チップを目当てに働いている向上心のない素人の給仕は、客側からすれば迷惑千万である。料金の15%以上のチップには、プロとしての如才無いサービス精神への、謝礼も含まれているのである。
何時だったか、日本蕎麦よりも栄養価が高いということで、一頃評判になっていた韃靼(だったん)蕎麦を味わった。乾麺を茹でたものであったので、手打ちの蕎麦には敵わなかったが、それでも大層美味しく頂けた。韃靼とはアジアとサハリン(樺太)島との間にあるタタール海峡のことである。日本では間宮海峡と呼んでいる。
「てふてふが一匹、韃靼海峡を渡って行った」
これは『春』と題した安西冬衛の、一行詩の傑作である。てふてふが一匹、間宮海峡を渡って行った。これでは詩にならないが、中国名の「韃靼」に置き換えることによって、味わい深い詩に変貌を遂げる。
間もなく時刻は、午後一時になろうとしている。そろそろ昼時の人の波が引けるころあいである。これからぼくは件の蕎麦屋へ赴いて、秋の暮れをしみじみと味わいながら、ひとりで蕎麦をかみしめる。そして最後に、ほっと息をついて蕎麦湯でもすすれば、ぼくの心持は藹々(あいあい)としてくるのである。

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