2005年10月31日月曜日

■第七十九回 読書週間を終えて思ったこと

2000年の『子供読書年』から、「ブックスタート」という新しい試みが始まって以来、絵本の読み聞かせがブームとなっている。
この「ブックスタート」とは、イギリスで始まった「正しい読書」を奨励する運動で、乳幼児のための絵本と読み聞かせについて、詳しくまとめられている「ブックスター・パック」を、図書の専門家が一人ひとりの保護者に手渡しながら、アドバイスを施していくことを目的としている。
育児書や子供の教育に関する本を読んでいると、乳児期からの読み聞かせの重要性を説いている項目が必ずある。また、テレビや雑誌などで、時おり見掛ける教育コンサルタントの先生も、読み聞かせの習慣と読書好きな子供に育てることが、いかに将来の学業に有益であるかを力説されている。
若者たちの活字離れが顕著になって久しいが、米国では読書が勉学の基礎を形成しているとの識見が強いので、教師が課題に挙げる書物や、それに基づいた著書を読みこなす技術と読解力を、まず、身につけていなければならない。そのためには乳幼児期からの読み聞かせや、読書の習慣が肝要なのである。
学生時代に、「読書の虫」と呼ばれている同級生がいた。彼は暇さえあれば読書をしていたので、いろんな分野において話題が豊富であった。ある日、一冊の本をめぐって、ぼくは彼と議論を戦わしたのであるが、彼は本の内容に関しては比較的良く理解しているのであるが、彼自身のものの見方や意見、そして思考力が希薄であった。ましてや想像力を膨らました斬新な所見ともなれば皆無であった。彼は活字をいち速く読みとりながら、筋書きを暗記する技術に熟達しているが、自分で考える力や想像力においては明らかに劣っていたのである。
さて、乳幼児期の読書の問題であるが、絵本などの読み聞かせは5、6歳ぐらいまでで一応打ち切って、それ以上の年齢になれば、なるべく絵の少ない本を読み聞かせるようにしたい。理由は、あまり絵にばかり頼りすぎると、その状況を想像させる思考力が解発されにくいからである。或は、絵本を読み聞かせる場合、この物語が次の頁ではどの様な展開になっているのか、頁を捲る前にしばらく間をおいて考えさせてみることが肝要である。また、親の見解も語り聞かせながら、意見交換を楽しむひと時をもつことは非常に有益である。
読書というものは読む速さを競ったり、読んだ本の数で優劣を定めたりするものではない。ショウペンハウェルは、読書とは他人の頭で考えることであると述べているが、自分の頭で考えることのできる人間へと成長するためには、前文の「読書の虫」のような読書家には、絶対にならないように気をつけてもらいたい。
また、絵本や児童書を読み聞かせる場合に、語り手となる母親もしくは父親の、朗読する技術と表現力が豊かでなくてはならない。例えば、登場人物によって声色を変えてみたり、文章に抑揚をつけて語ることである。
ぼくが幼い頃に、母親から絵本を読み聞かせてもらった記憶は殆んどない。絵本の寡少な時代でもなかったと思うのであるが、心覚えがあることは、一寸した挿絵のついた「イソップ」を何度も繰り返して読み聞かせてくれたことである。また、寝入り際に暗い部屋の中で語ってくれた母親の昔話は、固唾を呑んで聞き入ったものである。
ある声楽家がテレビで語っていたことであるが、オーケストラをバックにして歌えることは素晴らしいことであるが、例えば病院にお見舞いにいって、病床生活を続けている患者のためにアカペラで独唱したりすると、大層感激されて、その歌声がいつまでも患者さんの胸の奥深くに残るという。
或は、子供の頃に家族や友達たちと一緒に、何気なしに口ずさんだ「唱歌」の追懐に時おりひたることがあるが、これもやはりアカペラで歌っているので印象深く心に残っているのかも知れない。
ぼくは読み聞かせの場合も同じであると思う。映画館の大画面で、バックに音楽の流れる一流アニメを鑑賞すれば、誰もが感動するであろう。けれども、自分ひとりだけのために母親が語るモノクロの世界は、想像力を最大限に引き上げて聞き入ることになる。これほどスペクタルな環境は他にないだろう。
出来れば物語を語る母親は、本を読まないでストーリーを予め記憶しておくか、即興で話しを組み立てられるぐらいの心構えであってほしい。即興が苦手であれば、前もって粗筋を用意しておけばよい。
そして文字が読めるようになれば、必ず音読する習慣をつけることである。それから、当世は低俗で有害な書物が氾濫している世の中である。書籍は慎重に選ぶことが肝心である。自信がなければ専門家に相談されると良い。ぼくの方針は、短歌、俳句、和歌などを暗誦させた後で、音読の訓練を繰り返すことである。イギリスやここアメリカでも、シェークスピアのソネットを諳んじることは教養であり、感性を錬磨するために用いられている。
従って、私たちの信仰生活も同じである。聖書の音読と聖句を暗誦することによって、大いなる恵みが得られるのである。

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