2003年9月15日月曜日

第三十回 星野監督に捧ぐ

巨人、大鵬、卵焼きとは、60年代に若い女性が心を寄せた代表格である。ぼくは大鵬と卵焼きは好きだが、プロ野球に関してはアンチ巨人軍なのである。けれども、フラミンゴ打法で有名な王選手と、華麗な守備で観客を魅了した高田選手の二人には、何故か好感が持てた。

十二、三年前に、かつて日本球界で活躍していた各球団の花形選手たちが、ロサンゼルスに集結してサイン会を催したことがあった。往時、会場へ赴いたぼくの第一印象は、各選手の体格が想像していた以上に小さかったということである。普段読んでいるスポーツ新聞には、野球選手の身長と体重が記載されていることがある。それによると、ひとりや二人だけではなくして、少なくともぼくの目には、全員がその数字よりも3センチから5センチも背が低く映った。

ハリウッドにあるチャイニーズ・シアターの前には、映画スターの手形、足形が敷き詰められてある。そこにはアメリカの男性像を象徴するジョン・ウェインの足形もあるが、よく見ると随分足のサイズが小さい。また手形は小さな手をカムフラージュさせるためか、手のひらを押し当てないで、彼だけが握り拳を押し付けている。

ジョン・ウェイン主演の映画を観ていると、優に190センチを超える大男である。ユニバーサル・スタジオのガイドさんの逸話によると、彼の身長は174センチだそうだ。ヒールの高いブーツを履いて、帽子を被れば180センチ以上に見えるのだ。

残りの10センチ差は、家屋のサイズなど、セットを小さく製作することによって、ジョン・ウェインを大きく活写した。おまけにライフルや小道具のサイズを小さく演出して、馬に至るまで小振りのものを調達してくる。勿論、脇役陣も背の低い俳優を選ぶ。ユニバーサル・スタジオには、今でもジョン・ウェイン御用達のセットの数々が、大切に保管されている。

身長のことで、あまりにも鯖を読み過ぎたのが、70年代に大活躍したプロレスラー、燃える闘魂アントニオ猪木である。三年から六年前の間に、ぼくはLAXの出迎えロビーで、猪木さんを三度見かけている。その際に彼の真ん前に立ったこともある。

少し興奮気味のぼくは、あの頃の試合の場面が脳裏を駆け巡り、「身長191センチ、体重115キロ」と、いつも連呼していた実況アナウンサーの声までもが聞こえて来るようであった。けれども、ぼくの目の前に立っているアントンは、ぼくよりも背が低いではないか。

あの大きな体躯で素早い動きをするものだから、当時はよくテレビ観戦をしていたが、一気に夢が崩れていくようで、大層しらけてしまった。ぼくの目測では、精々180センチが妥当なところだ。

この稿が掲載される頃には、阪神タイガースが優勝しているだろう。18年振りのリーグ優勝である。大阪出身のぼくもご多分に洩れず、少年時代からのタイガース・ファンである。優勝を祝して、ロサンゼルスリバーに飛び込もうと思っても、雨の少ないLAの川には、ほとんど水が流れていない。

タイガースの優勝に水を差すようで申し訳ないが、三年位前に、判定を不服とした星野監督(往時の球団名と役職は忘れました。)が審判に暴行を働き、その審判は肋骨を骨折して入院する羽目となった。ことの一部始終を見ていた観戦者の二人が、見るに見かねて提訴したことから、一頃スポーツ新聞の一面はこの問題で持切りだった。

当時の星野監督は「自分は今まで人に頭を下げたことのない男」だと、強きの発言を呈していたが、紛争に至らないように球団が早急に根回しを図ったようで、いつの間にかこの『事件』は闇の中へ葬られてしまった。

もし同じようなことが大リーグで起こったならば、その選手、もしくは監督、コーチは球界から永久追放されるだろう。裁判に至っては、禁固刑の評決が下される可能性が十分にある。そもそも審判に向かって手をあげるだけでも大騒ぎになる大リーグで、肋骨を骨折させるなどとは尋常ではない。これは明らかに犯罪である。全米のボール・ゲームファンからも大ブーイングされる。 

野茂やイチローの活躍を見ても分かるように、今や日本の野球選手は大リーグで十分通用する。但し、それはプレーでのみ通用することであって、暴力に対してあまりにも寛容すぎる日本球界の体質は、世界の目には野蛮な行為を容認するアソシエーションとして映るであろう。

選手同士の殴り合いは大リーグでもたまにあるが、プロ野球で情けなくなってしまう場面は、けんかが始まっても、相手が体の大きい腕っ節の強そうな外人選手であると、日本の選手の大半は走って逃げ出してしまうことだ。

「今まで人に頭を下げたことがない」と喝破した自信家の星野監督は、その語句を語ることによって、男らしさを誇示しているつもりだろうか、もしそうだとしたら心外だ。ぼくはその言葉に憐憫の情を抱く。

最後に、阪神タイガースを優勝に導いてくださった、愛する星野仙一監督に、ぼくの詩を捧げたい。







勝 利

「負けるが勝ち」
年齢を重ねるごとに
この言葉の意味が
重みを帯びてきた

負け惜しみではなく
自分の心を解放することによって
相手の心までもが変わってくる

「負けるが勝ち」
謙遜は神様に愛される
最良の近道だと思う

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