今年の春あたりから朗読の会をスタートさせようと思っている。会場はコスタメサの紀伊國屋書店。具体的なことは、まだ一切決まっていない。
対象となるのが小学生以下の子供たちになるので、紙芝居と絵本、そして童話集から朗読することになる。だが、なるべく近い将来、学生や成人向けに、文学作品を中心とした『名作朗読』も手掛けていきたいと考えている。
絵本と紙芝居は、複数の読み手が担当する朗読劇風になる予定。朗読はロサンゼルスでボランティア活動を続けているグループが幾つかあるので、ぼくも含めて彼らが担当することになる。
また、このホームページを運営している教会のサンデースクールの先生方にも、朗読の奉仕を要請して了解を得ている。
お願いをした理由は、サンデースクールの子供たちが、公共の場で朗読をしている母親の姿を見て、彼らの感性に佳良の影響を及ぼすからである。
ゲスト朗読者として、俳優、元劇団員、アナウンサー、日本語学校・補習校教諭、他、プロ、セミプロの方々にも助勢を求めている。
朗読会の回数は、月に一度か二度程度になる予定。只今より共催、後援、協賛を募る。地元のメディアとも提携して、朗読会の放映や、朗読テープの配布を全米に広げたいと思っている。
また、子供たちだけではなく、高齢者や目の不自由な方々にも役立てていただけたならば、幸いなことである。
この朗読会に賛同して、ご協力いただける方は、『ラッパを吹くひつじBBS』を利用して、お便りをお寄せください。
創作紙芝居を企画した際に、企業などにスポンサーとして援助して頂いた場合に、物語や紙芝居の絵にクレームをつけられたことがある。
教会や十字架、天使などの表現は特定の宗教を象徴しているので、削除してほしいと言うのである。まったくばかげた話しだが、企業側は真剣なのだ。
では、一休さんには、お寺や仏教にまつわる寓話がたくさん紹介されているが、この件については如何なものかと尋ねると、昔話は伝統があるので除外されると言う。
民放で長期にわたって放映された『フランダースの犬』の最終回は、教会の礼拝堂が舞台となっていたし、天使や教会の風景が頻繁に登場していた。またNHKで放映されたトルストイの『ふしぎのひしゃく』は、神様がテーマになっていて、ナターシャがお祈りを捧げる場面がやたらと出てくる。
今や教会は、日本でも町の風景の一部として溶け込んでいるし、十字架や天使はアクセサリーのモティーフとして日常茶飯事である。
キリスト教に偏見を持った石頭が、スポンサーと言う大義名分をかざしてごねて来られると、これだけで、もう疲れてしまうのだ。
さて、新しい本は次から次へと出版されるが、「ベストセラーにはろくな本がない」と嘆いたのは、某有名書店の支店長である。文化を建前にして営利追求の本音が後押しをするので、手を変え人材を変えて、有名人を著書に仕立て上げた「愚の骨頂」が、本屋の棚に氾濫している。
日本を代表する有名出版社が、親の七光りの若いタレントをホテルに缶詰にして、自社のベテラン校閲子の指導を受けさせながら、エッセイを書いていく過程が何週かにわたって放映されていた番組があった。
放送局とプロダクション、そして出版社の一味徒党が、やらせと演出の区別がつかない、あつかましくも興ざめしそうな番組を、「いかにも」といった超次元の低いのりで制作されている。
そしてその本の発売日には、番組を挙げて盛大にPRするから、世のミーハーに売れることこの上ない。
LA在住の或る読書家の牧師は、来客や信徒の方々から、日本の土産を頂くことが常であるらしいが、その牧師曰く、「茶菓などよりも、今、日本で話題になっている本を頂ける方が嬉しい」
同じく世界を駆け巡る有名な伝道師も、常にベストセラーとなっている本をチェックして、説教の際のネタにするように気を配っている。
聖職者をしてこうである。ぼくは何もベストセラーは悪書だ、などとは一言も発言していないが、あまりにもベストセラーばかりに目が向きすぎていて、肝心なことがないがしろにされているのではないかと、声を大にして問いかけたい。
詩人のロジャースは「新しい本が出版されたら、古い本を読め」と喝破した。ショウペンハウエルは『読書について』の中で、文学を,「とどまる文学」と「流れる文学」の二つに区別している。前者は真の文学で永遠に持続する文学を旨とし、後者は偽りの文学、即ち毎年数千の作品を市場に送り出して、話題性を仕掛けて営利に疾走するが、2、3年経てば、もてはやされていた名声が消滅してしまう駄書のことである。
若いうちに名著と呼ばれている本と出会うことは、非常に大切なことである。ぼくは編集人からの依頼を受けて、今年の4月から全米版の『US. Front Line』誌に、古い本の『書評』を定期的に執筆することを決意した。
「古木は燃すべく、古酒は飲むべく、旧友は信ずべく、古書は読むべきである」。ぼくは経験論哲学の創始者、フランシス・ベーコンの言葉が好きだ。
私たちが、毎日欠かさずに読まなくてはならない古い本、それは『聖書』のことなのである。
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