2004年10月1日金曜日

いつだったか、教会の聖書クラスで、「悟る」という言葉を使ったら、「悟る」は仏教用語であるから、クリスチャンは使わない方がよいです。と注意を促されたことがあった。クリスチャンになりたての頃に、家人が手紙の宛名の敬称に「大兄」、「大姉」と書いた。それを見ていた或る牧師夫人が、「大兄」、「大姉」は、仏教用語であると教えてくださった。
 私は「随分とこだわるものだなぁ」と思いながらも、彼らの祈りを聞きながら「くすっ」と笑ってしまった。「天の父なる神様 ・ ・ ・ 」と言って祈っているからである。「神様」とは、元来、神道の用語ではないか。
 時は遡って安政6年(1856)、アメリカ人宣教師であった医師のヘボン(正しくはヘプバーン)は、来日して神奈川県で診療所を開設した。92年に日本の地を去るまでの36年間、数多くの病人を救いながら、日本で最初の和英辞典『和英語林集成』を結実。ヘボン式ローマ字を普及させた。
 フランシス・ザビエルが日本で布教活動していた時分は、キリスト教の絶対者であるゴッドのことを、大日(だいにち)、天主(デウス)、天翁(てんとうさま)などと訳していた。それから約300年を経て、ヘボンが「神」様と和訳したといわれている。
 以来、キリスト教に「神」が定着してしまったが、日本の固有信仰である神道の神と混同して紛らわしい。
 その後、明治政府は明治の初めに師範学校を設立、文部省から『小学読本』を発行した。この教科書の内容は、日本を諸外国に負けないような一流国に仕立て上げようとする理想があったので、以下のような旧約聖書の翻訳をそのまま掲載していた。
「天津神は月、日、地球を造り、後、人、鳥、獣、魚、草木を造りて、人をして諸々の支配をなさしめたり」
 やがてその文章を非難する者が現れて、翌年には改訂されることになったが、それでも、「神は万物を創造し、支配し給う絶対者なり」といった、日本の神とキリスト教の神を混同するような文章が綴られていた。
 内閣が組織され、初代の文部大臣には森有礼が就任したが、残念なことに、日本の宗教教育は、天皇が絶対者であり、支配者であるとする宗教に統一されてしまった。
 戦後、クリスマスの日だけは、宗教に関係なく日本全国でお祝いムードになる。かつて国鉄(旧JR)が駅のコンコースに大きなクリスマスツリーを飾ったところ、或る政治家から「国有鉄道が特定の宗教を支持するのは憲法違反」であるとのお咎めがあった。
 結局、「あれは宗教などではない。季節のアクセサリーである」ということで一件落着した。聖書は永遠のベストセラーと言われ、日本では十字架をモチーフとしたアクセサリー類は、若者を中心として人気が一向に衰えない。
 同胞(日本人)が真実の神に立ち返って、一刻も早く、ゆるぎのない信仰を持てるように、心から祈りつづけていきたいと思う。
 さて、話は一変するが、近来、私は老眼鏡を手放せない年齢になってしまった。また、乱視の気が少し混じっているようなので厄介である。毎日パソコンのキーボードを叩きながら、机上のモニターを睨みつけている。これでは視力が衰えて、目の健康を害しても当然のことである。
 雑誌社や新聞社へ渡す原稿は、担当の編集人がいるので、さほど問題ではないが、非営利団体が発行している印刷物への寄稿は、本業の編集者が携わっていないので、原稿の校閲は期待できない。
 自分が書いたものを何回、何十回と読み直してみたところで、目が慣れてしまって、正誤、適否を確かめることが困難である。第三者の目が介入しなければ、校正は不可能なのである。
 このような訳で、近来、老視に苦慮しているので、ミスプリントの原因となっている。従って、読者諸氏に、大変ご迷惑をおかけしていることを、紙面をかりてお詫び申し上げたい。
 余談になるが、夏目漱石が歿してしばらく経ってから、全集を出版する話が持ち上がった。誤植が無いようにと、十九度も慎重に校正を行った。ところが、製本されて本屋に並び始めると、誤植が相当あった。責任者の小宮豊隆は、責任を明らかにしようと、校正刷りを全部点検した。すると、意外にも誤植の大半は初校からあったもので、十九名の校閲の目を、まんまとだまして見せたのだ。先人たちも校正には、ずいぶん苦労していたようである。

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