娘が通っている保育園の送り迎えは、ぼくの役目である。ハーバー ・フリーウェイをPCHで降りてから、保育園までの2マイルばかりのPCH(パシフィック・コースト・ハイウェイ)の道のりは、まるで別世界に紛れ込んだようである。
というのは、カリフォルニアで、もう25年近くも自動車を運転しているが、こんなにドライバーのマナーが悪い地区は珍しい。毎日、フリーウェイ並みの事故が頻繁に起こっている。一体どういうことなのだろうかと、考えさせられる。
日頃、自動車を運転していて、気付かされることがある。自動車のメーカーやタイプによって、運転の仕方が極端に違う。とにかくスピード狂でマナーが悪いのは、ピックアップ・トラックとH社の自動車である。その9割は三十歳以下のドライバーだ。
20年前のカリフォルニアの若いドライバーは、もう少し心にゆとりがあったように思う。性格が穏やかで、譲り合う精神が根付いていた。
先日、保育園に娘を迎えに行った帰りに、フリーウェイで追突された。フリーウェイの車はスムーズに流れていたが、急に混み出してきたので、最高速車線で自動車を停車させた時に、約70マイルのスピードで追突された。追突したドライバーの前方不注意が原因である。
加害者であるドライバーが 、救急車を呼んでくれた。一足遅れて、ハイウェイ・パトロールも駆けつけた。不幸中の幸いで、娘もぼくもかすり傷一つ無い。一応、念のために、精密検査とリハビリに通っている。ぼくの車はロール ・オーバーとなり、スクラップである。後部座席の後ろの所に、聖書が置かれているのを、ボディ・ショップの工員が目ざとく見つけて、ぼくに言った。
「聖書が身代わりになってくれたね」自動車の見るも無残な姿を目の当たりにして、工員の目が鋭く凍りついた。
さて、アメリカの医療技術は世界一であると、よく耳にする。アメリカの医療技術は、常に世界の最先端を全うしているのだ。ところが、救急車で運ばれたUCLAのハーバー病院の現状を見て、ぼくはあきれ返ってしまった。
救急車で運ばれて来たというのに、病院に着いてから医者が診察するまで40分も待たされた。おまけに命に別状が無く、歩行が可能であれば、自分でレジストレーションをせよと言う。ぼくは救急車の隊員と一緒に外来へ行き、手続きが完了するまで3時間も待たされた。心身ともに疲れ果てているというのに、隊員は途中でぼくに娘を託して帰ってしまった。
病院のロビーは午後の9時であるというのに、立錐の余地も無い。あちらこちらの通路や床で、診察までの時間を待ちくたびれて、横たわっている患者が数十人もいる。病院の建物は随分と立派であるが、まるで発展途上国の診療所のような光景である。
この分なら、ぼくの診察の順番まで、あと4、5時間は待たされるだろう。午後5時50分に事故に遭ってから、正式に診察されるのが真夜中である。やがて家人が病院へ駆けつけてくれたので、取り敢えず家に帰ることにした。いやはや、疲労困憊である。そして、アホらしくなってきた。
翌朝一番に、日系の医療施設に予約を入れて、手際よく診察を済ませた。アメリカで、現代医学の粋を集めた治療の恩恵を受けるのは、一部の特定階級の人間とお金持ちだけである。一般庶民が利用する病院全体のレベルは、医療保険制度も含めて、アメリカよりも日本のほうが充実している。
医者にさじを投げられた心臓病の患者が、アメリカの名医を頼って来米した。手術は無事に成功した。さすがアメリカの医療技術は素晴らしい。後に病院から送られてきた請求書の金額を見て、その患者は心臓麻痺を起こして死んでしまった。これは実際にあっても、おかしくないような笑い話である。
ともあれ、ぼくは主なる神様から守られたことを、心から感謝している。また、アメリカの地でイエス様と出会ったことは、ぼくにとって掛替えの無いことである。
「この出逢ひこそクリスマスプレゼント」(稲畑汀子)
しばらくしてから、ぼくは自動車の後部座席の後ろに置いてあった聖書を開けてみた。ぼくは自分専用の聖書を何冊か持っているが、この聖書は口語訳の大きな活字の聖書で、主に礼拝の時に聖書朗読をする際に使用する。
ぼくはこの聖書の上に手を置いて、娘が無事であった喜びを、まず神様に感謝した。それから、心をこめて祈った。
「主は今、生きておられる…… ハレルヤ!」
0 件のコメント:
コメントを投稿