交通事故の後遺症を調べるために、病院で脳波の検査をした。そうこうしているうちに、一年ぶりに発狂してしまった。このところ数年間、二月から四月にかけて精神に異常を来すことがある。今年は暖かい陽気が続いたせいか、例年よりも少し早めの持病に苦しむ季節を迎えたのである。
ぼくの机の回りには、頓用のトランキライザーと抗うつ剤が常備されている。またホーム・ドクターに相談すれば、いつでも新薬のサンプルを譲ってくれる。
ぼくのホーム・ドクターは精神科医である。日本に一人とアメリカに一人いる。日本にいる主治医とは三十五年来の付合いである。アメリカの主治医とは、間もなく二十五年になろうとしている。
初めて発狂したのは、中学生の時であった。当時、精神病院は俗称、脳病院と呼ばれていて、通院や入院をしようものなら世間様から色眼鏡で見られた。発病してから約十年の間に、精神病院やら神経科病棟に七、八回入退院を繰り返している。ぼくは青春時代の大半を、檻の中で過ごしたのである。
二十代半ばの頃、病院から外泊の許可を貰って自宅に帰っている折に、兄と二人で南(大阪の繁華街)に酒を飲みに出掛けたことがある。薬を服用しているため、アルコールの摂取は心身ともによろしくなかったが、挙句の果てに四、五軒梯子をしてしまった。
深夜、場所は料亭・大和屋の前で、○○組のナンバー・スリーと擦れ違い際に喧嘩になった。ぼくは今でもその男の顔をはっきりと覚えている。回りに三人か四人女をはべらせて、その後ろに四、五人の舎弟を従えていた。
言いがかりをつけられたので反論をしたら、いきなりぼくの顔面に鉄拳が飛んできた。ぼくは酒を飲んだ勢いと、精神状態が狂い始めて来たので、男の腹の辺りを足で突き飛ばした。その時、大きな声を張り上げながら二、三人の警察官が走ってきた。後ろからサイレンを鳴らしてパトロールカーも現れた。
ぼくと喧嘩相手の男は、直ちに南署に連行されて事情徴集された。その際に、ぼくの担当係官から、喧嘩の相手が○○組の者であると教えられた。もし、現場に警察官がやって来なかったら、ぼくは半殺しの目に遭っていただろう。
別々の部屋で事情徴集が終わると、喧嘩相手の男はぼくのいる部屋に一人で現れた。男は先ず、ぼくに向かって鋭い目つきを浴びせてから毒突いた。そして最後の捨て台詞は、必ず見つけ出してカタをつけてもらうと息巻いた。
偶然なのだが、往時ぼくが入院していたのは警察病院(大阪)であったので、同じ病棟に南署の△△警部が入院していた。また、ぼくと同室の四十二歳の男性も警察官であった。
同室の××さんは、ぼくに身の上話をよく聞かせてくれた。××さんは高校を卒業後、警察学校に入学。制服警官一筋に人生を歩んで来られた。普段は寡黙な××さんであるが、一旦喋りだしたら人の良さそうな物腰は、病的なほどに小心翼々としていた。
××さんは神経衰弱で休職中の身であるが、いよいよ今後の進路に関して決断を迫られていた。或る日、××さんからぼくに、今後の身の振り方について相談を持ち掛けられた。
今、退官すれば、退職金が二千万円と毎月わずかな恩給が支給される。定年まで勤続すれば退職金は三千万円。自己の心身を優先させるべきか、家族の将来を考慮すべきか。××さんは心の中に葛藤が生じていた。
××さんの性質からして、このまま警察官を続けようものなら、入退院を繰り返すことが目に見えて分かっていた。××さんは警察官になるには、あまりにも鋭敏な感性の持ち主である。ぼくは「退官してのんびりと過ごす方が良い」と、一言口走った。
ぼくがそう言った途端に、××さんの顔が紅葉を散らしたようになって、莞爾(かんじ)として表情が明るくなった。
「そうですよね。その方がいいですよね。」
××さんはやおらベッドから起き上がると、ぼくの顔をまじまじと見て念を押すようにして言った。
ぼくは返答に戸惑った。××さんはベッドから立ち上がると早足で詰め所まで歩いて行き、公衆電話から自宅に電話をかけているようであった。
「退官することに決めたよ!」
××さんの声が、病棟の廊下に響いていた。
いつ頃であったか、就寝前に、××さんは暗誦している詩を口ずさんだ。
けれどもわたしは語らない
わたしのつぶやきは聞こえない
わたしはあついなみだを流す
なみだはわたしをなぐさめる
かなしみにみちた心は
にがい涙の喜びを知る
「プーシキンがお好きなのですか? 」
ぼくがそう問い掛けると、××さんは優しく微笑んでうなずいた。
「悲しんでいる人たちは、さいわいである」(マタイ5・4)
××さんの心は、一編の詩で慰められたのだろう。
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