2005年2月1日火曜日

第六十三回 発狂、その後

前回のエッセイで、ぼくが発狂したと書いたので、礼拝中に行なわれる朝の挨拶の際に、賛美リーダーの松尾姉が、「読みました。大丈夫ですか」と、優しい声をかけてくれた。ご心配をおかけして、真に申し訳ない限りです。

以前、何かの連載エッセイでも書いたことがあるが、発狂してどん底に落ち込むと、塗炭の苦しみに喘ぐのだが、この病気と二十年、三十年と付き合っていると、病気に慣れるというか、今では精神病の「プロ」になってしまった。

例えば相当気分が落ち込んで、超憂鬱な状態になったとする。ぼくは蒲団を頭から被って、独り暗闇の世界に閉じこもる。そうすると、やがて悪魔が現れてぼくを愚弄するのだ。発病して五、六年の頃は、今にも気が狂いそうになっていたが、「プロ」になってからは、悪魔が現れると、ぼくも悪魔以上の大悪魔となって対抗するのである。

悪魔は愚かである。神様が現れると、悪魔は躍起になって神様に手向かうが、ぼくは透かさず大悪魔から献身なクリスチャンへと早変わりする。

「プロ」が独りで魔界を遊泳していると、恐怖どころか、にんまりと相好が崩れる。そして、この度は一つ、小手調べに、気の弱そうな悪魔を見つけたら、からかってやろうと思うのである。けれども、呉々も素人の方は真似をしないでほしい。

発狂すると、ぼくは変質的耽美の仙境に遊ぶことがある。だが、このことについては、これ以上詳しくは書けない。なぜならば本サイトは教会のホームページであるからだ。

これからがこのエッセイの佳境に入るというのに、真に残念至極である。

十代の頃、ぼくは鉄格子が張り巡らされている脳病院の大部屋で、差入れてもらった詩集を読みあさった。日本の詩人でも、外国の詩人でも何でも良かった。とにかく読んで読んで読みまくった。

たくさんの作品を読み終えてから、ぼくはふと思った。詩を書く人間は、一体どのような境遇で育って来たのだろうか。ぼくは興味津々、今度は詩人たちの年譜を読みあさり始めたのである。

そうすると驚いたことに、詩人たちの半数以上が精神病院に入院した経歴を持っていた。あとの半数以下ほどの詩人たちも、病院へ入院の経験はないものの、自殺を企てたり、精神異常であったり、神経衰弱に悩んでいたりして、精神の病と何らかの係りをもっていた。

そこでぼくは思った。詩人なら自分にでもなれるのではないかと。けれども詩人は職業にするものではない。なぜならば、詩を書くだけでは十分な収入を得られないからである。

かくしてぼくは、無頼派やデカダンの詩人たちに傾倒していくのであった。

四、五年前、知人に連れられて、大阪で私立の精神病院を経営している院長と、彼のアメリカの別邸で会ったことがある。どうやら病院経営で儲けたお金で、院長はアメリカで不動産投資をしているらしい。

院長はぼくたちとの話の合間に、自分の病院に入院している患者のことを、「あの、きちがいども」という表現を、何回も使っていた。話によると、院長は警察庁から精神鑑定を委託される人物でもある。そんな人物が、患者を人間として扱っていない。院長の話し振りから、ありありとぼくの心に、彼の不遜な人間性が伝わってきた。

どうせろくな治療もせずに、患者を病棟にすし詰めにしておいて、検査や薬代と称して、保険局へ水増し請求しているのだろう。この院長は、叩くと過去の悪事や醜行が出てくる面構えをしている。ぼくはその日は一日中、不愉快極まりなかった。

イエス様は山上の垂訓(マタイ5~7)の後に、病人をことごとくお癒しになった。先ずライ病人を、そして中風の人、熱病の女、最後に悪霊につかれた大勢の者を癒した。この悪霊とは、即ち精神の病のことである。

ぼくには分かっている。精神の病により挫折を味わい、死を選んだこともあった。しかし、精神の病が、ぼくの心を蝕まなかったら、真の光を見出すことはなかったのである。

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