2005年4月15日金曜日

第六十八回 焼肉

先日、大阪から進出して来たというホルモン焼のレストラン(焼肉屋)で食事をした。味の方は及第点以上、値段も良心的、但し漬物類とご飯物の味には些かがっかりさせられた。

週末の夜とあって、店内は家族ずれの客で混み合っていた。入り口では何組かの客が順番を待っている。ぼくは家族三人で入店したのだが、第一印象が悪かった。四、五名の給仕が働いていたが、彼らからまったく覇気が感じられなかった。誰一人として「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれない。壮年のウェイトレスにテーブルへ案内されると、しばらくして大儀そうにオーダーをとりにやって来た。笑顔を作って見せるが、心から微笑んでいるのではない。このウェイトレスは多分オーナー夫人であるとお見受けした。繁盛してお疲れ気味かもしれないが、その裏には、美味しい焼肉屋としての自負が、彼女の挙措から伺われた。

レストランというものは、味さえ良ければ申し分がないというものではない。お客の気分を良くさせてやると、料理の味が益々引き立つではないか。サービス料(チップ)には、お客へのエンターテイメント料が含まれているのだ。これは教会とて同じである。牧師の説教がつまらないからといっても、あそこの教会は信徒の皆さんの笑顔が素晴らしいとなれば、また通いたくなる。ところが、牧師の説教が光一(ぴかいち)であっても、初めて教会を訪れた者に対して、冷たい印象を与えてしまうと、もう二度と行きたくなくなる。

食事が終わってレストランを出る時、「ありがとうございました」という、ごく当り前の言葉が聞こえてこない。ぼくは思った。これしきの味で、レストランが繁盛するのだから、アメリカでレストランを経営するのは何と容易いことなのかと。

ぼくは駐車場を歩きながら細君と子供に嘯いてみせた。

「こんなレストラン… 来週も又来ようね、ね、ね!!!」

ぼくはこの焼肉屋で、それこそ15年ぶりにテッチャンを食べた。それも三人前。味の方は全般に濃かったが、炭火で焼くので旨かった。

ぼくの知己の子息だが、ミッション系の日本語学校に通っている。お弁当に大好物の焼肉を入れて持参したら、えらく担任の先生から叱責されたそうだ。どうやらこの学校のキリスト教の戒律に、獣類は食べてはならないという規則があるらしい。週末になって、家族と一緒に焼肉屋へ行くと、なんと担任の先生と鉢合わせになった。先生は実に旨そうに、生ビールを傾けながらカルビを食べていた。以来、友人の子息は先生不信に陥ってしまった。

ぼくが子供の頃は、ご馳走といえばすき焼きであった。けれども近頃の若い人は、すき焼きよりも焼肉の方を好む傾向にある。かれこれ二十年以上前になるだろうか、某大学の入試で四字熟語が出題された。○肉○食。空欄に漢字を記入して四字熟語を完成させるのである。正解は「弱肉強食」であるが、大半の学生が「焼肉定食」と明記したので話題になった。

ぼくの莫逆の友は、大阪で焼肉店を経営している。彼の親父さんがかつて『新羅会館』という高級韓国料理店を大阪で経営していた。実はその友の行方が、十二、三年前から途絶えてしまった。ところが、三年前に来米したミッションバラバのリーダー吉田芳幸さんと、ひょんなことから『新羅会館』の話になって、現在、音信不通となっていたその友の居所が分かった。

吉田さんはバリバリのヤクザ現役時代、『新羅会館』へは隔日通っていたらしい。その時分にまだ中学生か高校生であったぼくの友を、よくかわいがってやったと言った。そして今彼は、宗右衛門町で焼肉屋を経営していると、吉田さんはぼくに教えてくれた。

その頃に、『新羅会館』の密室で、山口組の田岡組長を狙撃するための構想を練っていたのですか、とのぼくの問いに対して、吉田さんはカルビを頬張りながら、にんまりとほくそ笑んだ。この話しをしたのは、ロサンゼルスのコリアタウンにある焼肉屋で、ミッションバラバのメンバーである中島哲夫さんや真島創一さん、そして井上 薫さんらも同席していた。

最後に、焼肉で刺身のツマとなりうるのは、やはりキムチであろう。今、ぼくが住んでいるガーデナに、『キムチ・ハウス』という漬物屋さんがある。ここのキムチはLA界隈では一番旨い。納豆キムチは身体に良いと聞いてから、ぼくは焼肉の時だけではなく、キムチを食べるように心がけている。

今春より、ぼくは教会でサンデースクールの先生を務めさせていただいているが、近々、野外礼拝の計画がある。そして礼拝後はバーベキュー伝道を催したい。ステーキではなく、あくまでも焼肉の焼肉による焼肉のためのバーベキューを。

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