2005年8月15日月曜日

第七十六回 細道と獺祭(だっさい)

若い時分から、ぼくの身体は硬い方であったが、最近とみに筋肉が硬直してきたように思えてならない。年齢のせいでもあるのだが、原因は言わずと知れた運動不足。毎日のストレッチと週に三回の水泳、そして歩行運動が不可欠である。けれども、ぼくは非常に意志が弱いので、不言実行も有言実行も出来ない男なのである。

先日、気まぐれにスポーツ・マートへ赴くと、ダンベルと今はやりのボディ・ボールを購入してしまった。あれよあれよと用意万端整ってしまったので、いざエクササイズのつもりでいたが、いつの間にか元の木阿弥となっているではないか。

そこでぼくは、とにもかくにも歩くことから始めてみようと思い立った。そして取り敢えず日本とヨーロッパで、文学行脚を企ててみたいと念じた。まずはフランスへ出向いて、もう一度最初から、近代詩の聖典と称せられている『悪の華』や『パリの憂鬱』など、ボードレール先生の詩や詩論と対峙しながら、フランス全土を行脚してみたいと。

この目論見が家人の耳に入りでもすれば、一喝されるに決っている。ぼくが行脚の計画を微に入り細にわたって説明しようものなら、家人は呆れ返ってしまうだろう。

「あなた、一体何を考えているのよ」

「ぼくはまだ文学修行の身であるから、エスカルゴの細道を極めたいだけだ」

家人は憮然とした面持ちで、一気にまくし立ててくる。

「いい加減にしてよ! そんなの修行でも何でもないわ、単なる道楽じゃないの、わたしが働いている間、ベビーシッターは誰がするのよ、私に子供を背たらわせて働かせるつもりなの… 」

「 …ごもっとも。しかし、行かねばならぬご家人殿、止めてくれるな…  行かねばならぬ… 」

「ちょっと、何一人で悦に入っているの」

多分このようなやりとりを、ぼくと家人の間で展開することになるであろう。

「お言葉ですがご家人殿、道楽とは、ちと、いただけませんな。せめて文学極道と言っていただきたい」

「くだらないことばっかり言っていないで、もう少し現実に目を向けてくださいな」

「いゃ、その… ぼくはただ純粋に、ボードレール先生の遺影とともに、フランス各地を巡って詩作をしながら、出来れば一緒にフランス料理の各様についても、いそしみたいと思っているだけのこと。これを名付けてエスカルゴの細道という」

「その前に、あなたが今住んでいるロサンゼルスから、フリーウェイの細道を極めなさい」

「うぬぅ、おぬし、できるな… これは恐れいった」

ともあれ、健康管理のために、早急にウォーキングは始めてみたい。先般、家族でディズニーランドへ行った際に、朝から閉園間際まで園内を歩き回った。日頃歩き慣れていないので、足が棒になった。体力が消耗しているので、さぞ血圧が上がっていることであろうと心配していたが、家に帰ってから血圧を測定してみると、何と普段よりも、血圧が上も下も20ほど低くなっていた。そしてその数値は、三日間つづいた。いかに歩くことが身体に良いことか、ぼくは身を持って体験したのである。

そんな矢先に、会社の顧問弁護士から電話が掛かってきた。再婚したという知らせである。正確には再々婚である。紹介したいので食事でもどうだと誘われた。結局は飲み会となったが、再婚した女性は、大阪府吹田市垂水町に住んでいたというから驚いた。この住所は渡米前にぼくが住んでいた実家の住所と同じであるからだ。

「あそこの餃子美味しいのよね」。「駅前の○○耳鼻科の先生は変コツだけど、腕はぴか一だったわ」。ぼくは彼女と意気投合した。場が盛り上がった所で、山口の地酒『獺祭』(だっさい)が振舞われた。酒をグラスに注ぎながら、ウェイトレスが『獺祭』の講釈を垂れた。     「『獺』は一字でカワウソと読みます。だっさいとは、正岡子規の俳句に由来します」

ぼくは講釈の続きを垂れてしまった。

「俗に、詩文を作るときに、多くの参考書や辞書をひろげちらかすことを獺祭(だっさい)という。また、子規の命日を獺祭忌といい、正岡子規はその居を獺際書屋と号した」

「随分、お詳しいですね」

そう言いながら、お株を奪われたウェイトレスは、その場を繕うと、ぼくの顔を一瞥(いちべつ)した。ぼくは黙っていた。間もなく正岡子規先生の命日(9月19日)である。

家に戻って郵便受けを確かめると、星野富弘美術館(LA)を囲む会から、会報が届いていた。その一面の集合写真を見ていたら、たちまちに一句閃いた。

囲む会 とりどりの愛 七変化    
*七変化とは紫陽花のこと

0 件のコメント:

コメントを投稿