2005年9月22日木曜日

八木重吉

先般、クリスチャン詩人であった八木重吉の詩篇、草稿、感想文、そして断片なども含めた文献を読みあさった。重吉は三浦綾子さんが最も尊敬していた詩人の一人である。敬虔なクリスチャンであった重吉は、信仰の詩を数多く書き残しているが、反面、怒りと哀しみをあらわにした詩も綴っている。
富裕な農家の次男坊として生まれた重吉は、何の不自由もなく育っている。幼児期における心的疾患なども考察しながら、研究者たちの間では、重吉の「かなしみ」の源泉が謎に包まれたままであった。
しかしながら、この度、重吉に纏わる文献をひもといていくうちに、一つの結論に辿り着いたのである。解析を進めるにあたって、文献などの資料が不足している為に、論文に仕立て上げるにはおこがましいが、ほぼ過誤は無いものであると帰趨した次第である。
結論から先に述べると、重吉には先天的な躁鬱気質があったようである。
重吉はしばしば「かなしみ」を吟じた詩人である。この寂寥感は遺伝的、生物学的感情傾向である憂鬱気質が素因となっているのだが、「怒り」の要素は、欲求不満や葛藤など、重吉に襲いかかって来る心因反応によるものと思われる。
「重吉の顔は純粋にさびしさ一本である」。「家庭がいかにも温暖(あたたか)そうなのに、彼の顔はみぞれのようにさびしそうだった」。草野心平は『八木重吉詩集』の「覚え書」に、詩人の肖像をこのように記している。
写真を見ても分かるように、無表情の重吉は、実にもの哀しそうである。元来、重吉の性質は、厭世的な憂鬱気質に支配されていたのである。そして、その反動から噴火する「怒り」と、信仰者として背馳する死への憧憬。それらの反映によって、重吉に些か緊張性興奮型の躁気質が角ぐみ始めたのである。
重吉はキリストを心から賛美する数多くの詩を綴っているが、同時に、「永遠の命」に対して確信を得ていないのかと思われるような、死への憧憬を美化している詩が数編ある。
それでは次に、紙面の都合で精解を記せない故、幾つかの詩を例に挙げて、簡潔に評釈してみたい。
とうもろこしに風が鳴る/死ねよと 鳴る/死ねよとなる/死んでゆこうとおもう(『風が鳴る』)
もえなければ/かがやかない/かがやかなければ/あたりはうつくしくない/わたしが死なな
ければ/せかいはうつくしくない(『断章』)
死をおもい/死をおもいて/こころはじめておどる(『無題』)
● 真摯で敬虔なクリスチャンであった重吉であるが、常に死を肯定する思いがあった。
ぐさり! と/やって みたし/人を ころさば/こころよからん(『人を 殺さば』)
太陽をひとつふところへいれてゐたい/てのひらへのせてみたり/ころがしてみたり/腹がたったら投げつけたりしたい/まるくなって/あかくなって落ちてゆくのをみてゐたら/太陽がひとつほしくなった(『太陽』)
● 怒りは、人間の心を瞬時にして極悪な思いへと導く。けれども、平常心に戻って省察してみると、心の中に芽生えた激怒は、罪であることに誰もが気づく。けれども重吉は、猶も「こころよからん」と結んでいる。この怒りの継続と、ほくそ笑むような安堵感は、本来の重吉からは想像すら出来ない心の昂りが伺える。
●太陽がほしい一番の理由は、腹がたったら投げつけたい為である。大きな太陽を自由自在にしてまで、怒れる対象が存在することと、太陽を弄ぶ諧謔(おどけ)は、上記の心の昂りと共通しうるのである。これは明らかに、哀しみを歌いながら寂しさを継続させてゆく憂鬱気質とはまた別に、潜在意識に眠っていた躁気質の表白である。
かなしみは/しずかに/たまってくる/しみじみと/そして/なみなみと/たまりたまってくる/わたしの/かなしみは/ひそかに/だがつよく/透きとおってゆく/   /こうして/わたしは/痴人のごとく/さいげんもなく/かなしみを/たべている/いずくへとも/ゆくところもないゆえ/のこりなく/かなしみは/はらへたまってゆく(『はらへたまってゆく かなしみ』)
●重吉の「かなしみ」は、信仰によって「透きとおってゆく」のである。即ち、癒されてしまうのである。そして、この詩の注目すべき箇所は二連目にある。「痴人のごとくかなしみをたべる」、「かなしみは はらへたまってゆく」と重吉は歌っているが、哀絶のイメージよりも、むしろ「かなしみを たべる」ゆとりを暗示している。
人間、八木重吉は、キリストを深く信じるが故に、その魂は哀しみと神経の昂りに翻弄されていた。昭和二年(1927)、而して重吉は煩悶の果てに肺結核で夭折した。享年29。私は重吉の正直で純粋な心に、何よりも深く感銘を受けたのである。

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