2005年10月23日日曜日

第七十八回 Y.M.O.とジョイ

テレビのスイッチを押したら、イエロー・マジック・オーケストラ(Y.M.O.)のライブが始まるところであった。ぼくは坂本龍一の名前だけは知っていたが、彼らがどの様な音楽を演奏するのかは、まったく知らなかった。
一時間余りのライブは、終始コンピューターを駆使して表現されている音楽であった。最初は単調に聞こえていた演奏であったが、ぼくは次第に彼らの音楽の世界へと引きずり込まれていったのである。
大勢の聴衆は両腕を差し上げて、手拍子をとりながら熱狂している。けれどもぼくは、どうしてもライブの聴衆のようなノリにはなれなかった。それは偏に、ぼくがリビングルームで、ソファーの上で踏ん反りながら、テレビを通して演奏を聴いているからではない。多分あのようなノリになる為には、ドラッグか何かが必要だと思った。
Y.M.O.のライブを聴きながらぼくが直感したことは、演奏しているメンバーたちは、あの様な通例のノリは、自分たちの音楽性と相反するものであると思っているのではないだろうか。
ライブが始まって40分ほど経ってから、ぼくの脳髄の一部が、月を越えて銀河系の彼方へと、ぶっ飛ばされてしまった。歌詞がはっきりと聞き取れなかったが、「遠くで風が、歌をうたってる… 」という曲では、なにかしら妙に、気分がここちよくなるのである。そしてそこには、何とも表現しがたいポエジーが湧き出ていて、ぼくの目の前には安楽な境遇が佇んでいた。
そう、ぼくは今、宇宙遊泳をしているのである。だが、意識だけは現実にあって、心持がこの上なくたおやぐのである。Y.M.O.のライブ番組との邂逅によって、ぼくは新しい音楽の世界を魅せつけられたのだ。この体験が詩を書く上において、斬新な暗示にでもなれば良いと思っている。
さて、娘のジョイは、先月から日本語の保育園と、英語の保育園に通い始めた。今までは日本語の保育園だけであったが、来年からの幼稚園と、再来年からの小学校は英語教育となるために、英語の下地をつけることが狙いである。
現在、4歳2ヶ月のジョイは流暢な日本語を話しているが、そのうちに英語が彼女の主流言語となるのだろう。ぼくはどうしてもジョイに、日本語の読み書きが完璧になってもらいたい。家人も同じ思いでいる。従って家庭内での日本語教育は、私たちの責任が甚大なのである。
幸いにもジョイは言語に対して、非常に強い関心を示してくれる。「犬も歩けば棒にあたる」から始まる『いろはがるた』48枚は、3歳のときに全部暗誦してしまった。俳句は週に二句銘記させている。早い時には2、3分で一句暗記してしまう。時折、今まで暗誦してきた俳句を全部語らせてみるが、作者の名前まで完璧に覚えている。
一年ほど前になるだろうか、尾崎放哉の「咳をしてもひとり」という句を覚えさせた後で、就寝前に暗がりのベッドルームで、ジョイに俳句を言わせてみた。すると彼女は、「指をしゃぶってもひとり」と言って笑い出した。ぼくは絶句した。そして、このパロディーの精神を大切にしなければならないと痛感した。
就寝前の読み聴かせは欠かせないが、幼児期から、ぼくは即興で物語を創ってジョイに聴かせてやることがしばしばあった。最近ではジョイが即興で物語を創ってぼくに聴かせてくれる。しかも一本の物語が15分と長い。親馬鹿であると言われるかもしれないが、センテンスがちゃんと整理されていて、文脈にもメリハリがあり、しかも、て‐に‐を‐はを上手に活用している。
半年ほど前に、ジョイが「戸締りを確認するわ」と言うので、「確認って、どういう意味なの」と問いかけてみた。するとジョイから即座に返答が返ってきた。「確かめること」と言うので、「よく知っているね」と、ぼくが褒めてやると、「もちろん把握(ハアク)してるよ」と、切り替えされたので、驚いてしまった。
ビデオを観ていても、本を読んでいる時でも、街を歩きながら、自分の知らない言葉に出くわすと、ジョイは「どういう意味」って、即座にぼくに訊ねてくる。
そこで、失敗談がある。ジョイから「奴隷って、どういう意味」と問われたので、「或る人の言うことにハイ、ハイと応えて、何でも言うことを聞く人のこと」と、答えた。数日後、保育園へジョイを送って行く途中で、「先生のおっしゃることには、何でもハイ、ハイと応えて、言うことを聞かなきゃ駄目だよ」とリマインドしたら、「ジョイちゃんは奴隷なの」と、真顔で目を丸くさせていた。
こないだの日曜日、知らないうちにソファーで眠ってしまった。ぼくはスーパーに買い物に行くつもりにしていたので、目を覚ますと直ぐに立ち上がって自動車に乗った。いつものようにスーパーで買い物をすることには、なんら変わりはないのだが、擦れ違う人や周囲の者が、どうもぼくの方をじろじろと見ているようなのである。中にはぼくの顔を見てクスクスと笑い出す人もいた。
ぼくは不審を抱きながら、ジレットとシャンプーを持って、キャッシャーへ急いだ。店員さんがぼくの顔を見るなり「何か面白いパーティーでもあったのですか」と語りかけながら微笑むのだが、ぼくは首を傾げて掌を頬に当てた。
その瞬間、ぼくの顔から火が出たのである。小さなシールが顔一面に貼り付けられているではないか。鼻の横にはティンカーベル、額にはハート型のピンクのシールだ。全部で十一枚、ジョイの仕業だ。
家に帰ってジョイをつかまえた。「眠っている間に、パパの顔にシールを貼り付けたのはジョイか!」。ぼくが声を荒げると、ジョイはポカンとしてぼくの顔を見詰めている。
「ご免なさい… まさかあなたが、外へ出て行くとは思っていなかったので… 」。家人が申し訳なさそうな顔を首に乗せて、ぼくの後ろに佇んでいた。
ぼくは呆れ返って頭(かぶり)を横に振った。そしてスーパーでの汗顔の至りを話しだしたら、たちまち家人は悪戯そうな目差を咲かせて笑い転げた。

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