2005年5月15日日曜日

第七十回  日常の話題から

NHKの『日本語なるほど塾』を観た。先月は日本語で小説を書く米国人、リービ英雄さんがゲスト出演されていた。リービさんは9・11(同時多発テロ)の日、日本からアメリカへ向かう機中にいた。全米の空港が全て閉鎖されたために、リービさんはカナダで数日間、過ごさなければならなくなった。

マンハッタンにある国際貿易センターが崩壊する衝撃的な映像を、ホテルの部屋で観たリービさんは、その状況を作家として文章で表現したいと思うのであるが、適切な言葉がなかなか浮かんでこない。しばらくしてから閃いたのが、芭蕉の俳句「島々や千々に砕きて夏の海」であったそうだ。

リービさんは中七の「千々に砕ける」という表現が、正しく、この度のテロを表現するに相応しい言葉であると力説されていた。この話しの後でリービさんは、芭蕉の俳句における宇宙観などについても言及されていた。

ぼくはテレビを観ながら、何とも言いがたい違和感を覚えていたのである。まず、件の俳句は芭蕉の作ではない。「島々や千々に砕きて夏の海」は、芭蕉が松島で作った唯一の句とされているが、ひもといてみると直ぐに解ることであるが、芭蕉は『奥の細道』本文の中で、ここ(松島)では俳句を詠まなかったと断言している。

芭蕉は、「絶景の前では黙して語らず」という、中国の文人的姿勢に感化されていたので、日本一の景勝地とされている松島においては、黙して語らない姿勢を貫いていたのである。従って、本文には曾良の「松島や鶴に身をかれほととぎす」を採用している。また、芭蕉の俳句における宇宙観の一つは、黙して語らない「無」を貫くことであった。

話は変わるが、先ごろミス・ユニバースに選ばれたカナダ代表のナタリー・クレポアさんの写真を見ていた家人が、

「さすがに綺麗な方ですね」

と、ぼくに同調を求めて来た。ぼくの目には、別段大騒ぎするような美人には映らなかった。「少し口が大き過ぎるよ」

ぼくの異存に対して家人が言うには、是式の口の大きさは、歴代のミス・ユニバースの顔写真を見てみても平均的であるという。

「大口がまかり通るのであれば、日本人女性特有のもち肌を、もっと高く評価してもらいたいね」

ぼくは反論した。

かつてロングビーチ(ロサンゼルス郊外)といえば、ミス・ユニバースのメッカであった。半世紀近く前の話になるが、現在もロングビーチに在住しておられる日系女性のKさんは、往時、ミス・ユニバース日本代表の通訳や身の回りのお世話をする仕事を依頼されていた。

Kさんは生業とは別に、約三十年の間に、日本の大企業や著名人等、あらゆる職業のエクゼクティブたちと交流を重ねながら、通訳者としても高い評価を得ていた。そんなKさんが少し躊躇いがちに語り始めたのが、ミス・ユニバース日本代表の話であった。

そのミス・ユニバースは、歴代の日本代表の女性たちよりも、群を抜いて美しい方であったそうである。ところが殊の外我儘であったので、随分と手を焼かされたそうである。楽屋やホテルの部屋で見る彼女の実像と、ステージの上に立って、スポットライトを浴びている虚像には、あまりにも大きな隔たりがあったそうである。

実名とコンテストの結果は、ここには書けないので、コンテストに纏わるエピソードを紹介出来ないのが残念至極である。Kさんは最後に、ぽつりと呟くように言った。

「あの方とだけは、もう二度とお付き合いはしたくありません」

三つ目の話題は、先日、ジョイ(三歳九ヶ月の娘)と一緒に『フランダースの犬』のビデオを観たこと。この物語をビデオで鑑賞するのは初めてである。ぼくはジョイと共に二度観て、二回とも泣いてしまった。

人を愛することの大切さと、神様から愛されているという確信。そして穢(けが)れのない、白銀のように美しい心が描かれていた。

「神様、僕はもう思い残すことはありません」

全てを失った少年ネロは、そう言ってから永遠の眠りに就く。このネロの最期の言葉こそが、信仰と希望と愛を伝えている。

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