2003年1月3日金曜日

第十七回 マリア

パサデナに、飛び切りに美味しいフランス料理のレストランが在るという。
「とにかく旨いから一度行ってみろよ」
一頃、パサデナに住んでいる友人のFから頻繁にメールが届いた。 ぼくは余儀なくFが推すレストランのウエッブ・サイトを開いて、メニューを覗いてみた。

シェフお薦めのア・ラ・カルトは、アヒ(鮪)のカルパッチョとサーモンのソテー。サイトのメニューを見渡しながら。
「なぁー、やっぱり、言わんこっちゃない」
ぼくの腹の底に集結していた言葉が炸裂した。大体がアメリカに於いて、リーズナブルで佳味なフランス料理店が存在する訳がない。

ぼくの家庭では三年前から主食は胚芽玄米に切り替えている。値段は多少高目であるが、毎日口へ運ぶご飯に関しては、健康(からだ)に良いものを選んでやりたい。調味料も粗塩にダークブラウン・シュガー他、自然食を主流としている。副食は一汁一菜を守り、粗食こそが究極のグルマン(食い道楽)だと、自分に強く言い聞かせている。

以前に、どこかの雑誌に書いたことがあるが、この世で一番のご馳走は断食の後に食べる重湯(お粥)である。とぼくは固く信じている。味付けは指先に弾ける数粒の粗塩だけでよい。肝心なことは、お米から行平鍋で時間をかけて薪で炊くことである。

釣りの醍醐味を追及する太公望らが、鮒に始まり鮒に終わるように、食いしん坊も、流動食(母乳)に始まり、流動食(重湯)に終わるのだ。

だが、ぼくは、雪どけの季節を迎えて、巷で、♪ 梅は咲いたか 桜はまだかいな・・・ なんてやっているのを見ると、粗食のセオリーなど何処へやら、肥大した舌が、ぐらぐらと鎌首をもたげてくるのである。

二月末に、エール・フランスのマイレージ・バンクを利用して、パリまでの往復航空券を予約した。じつは今年に入ってから精神状態が、とんとかんばしくない。正月が終わった辺りから、精神安定剤と抗鬱剤を飲む回数がぐんと増えた。なーに、三十四年来の持病だ。持続睡眠療法を自分で試みてみたが、数日間は気分が優れているが、たちまち元の状態に戻ってしまう。ここは一つ環境療法が要用だとみた。ぼくは家人にろくろく相談もせずに、膳は急げ! とばかりに小旅行を企てたのである。

ぼくはド・ゴール空港から、モンパルナスの駅前にある行きつけのちっぽけなビストロ、『マリア』へと急いだ。黒北風(くろぎた)の吹く棚曇りの路地裏で、相も変わらず『マリア』は古色蒼然として佇んでいた。人通りは殆どなく、外から見える店内は非常に薄暗いので、何やら偽体の知れない料理が運ばれてきそうな雰囲気をかもし出している。

ぼくには別段、懐古趣味といったものはないが、『マリア』の空間のけはいが、妙にぼくの意に適っていただけである。この食堂には、ぼくを強く引き寄せる母性の匂いが止めどもなく漂っているからだ。厨房では若い男のシェフが切り盛りしているし、給仕は男振りの良い壮年のオーナーの役目である。客以外に、女性を象徴する空気(かぜ)すら、この食堂には存在していないが、深く染みついた母性の魂が、冷たい壁の中からめらめらと燃えるようにして現れてくる。

ぼくは仄かな灯かりを頼りに、しばしの間聖書を黙読した。そして祈った。小一時間程経過したであろうか、久方振りに味わうムーラン・ナ・ヴァン(ワイン)とリ・ド・ヴォー(仔牛の胸線)のパイ包みが、長い旅の疲れをほろりと癒してくれていた。

明日は美食の街リヨンまで、足を伸ばしてみるつもりでいる。従って今晩は早めに休んで、ぼくの心を癒してくれる聖母マリアの夢でも見よう。

外(おもて)に出たら、西のほうから教会の鐘の音が聞こえて来た。北西の風は黄昏時よりも冷たさを増していた。ぼくは足早にパリの暗闇へ消えた

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