2003年1月12日日曜日

第十四回 今月前半

新年早々に、某出版社から原稿料の小切手が郵送されて来た。ぼくは金額を見て驚いた。2,000ドルもの稿料を貰う覚えがないからだ。問い合わせてみると、昨年の暮れに『詩』に関して書いた五枚(四百字詰め原稿用紙)の原稿料であると言われた。

それにしては高額過ぎる。ぼくはゼロが一つ多いのではないかと訊ねると、2,000ドルで間違い無いとの返答。よって、原稿用紙一枚につき400ドルの計算になる。円に換算すると4万8千円。これはひょっとすると、日本の詩人で一番高い原稿料になるのかもしれない。ぼくは予期せぬお年玉に恐悦至極であった。

E-メールをチェックしていたら、義理の従妹のハズバンドから、めずらしくメッッセージが届いていた。どうやら、ぼくが英字新聞に書いたコラム、The Way of the Delicious Tofu(豆腐の美味しい食べ方)を読んだらしい。トニーはバルセロナ生まれのスペイン人であるが、日本食には目が無いのである。ぼくに本格的な湯豆腐の調理法を伝授してほしいと希求してきた。

単純、素朴な料理ほど、追求していくと骨の折れること、この上ない。湯豆腐は正にその典型である。こだわりすぎると切りが無いので、豆腐はガーデナ(LA郊外)にある『明治豆腐』の絹こしを使用することにした。付け汁は日本から郵送してもらってあった日高昆布と鰹のだしを基本として、煮汁に割り下を加えて加熱したものを、冷蔵庫で二日間寝かした。薬味は日系マーケットで柚子と浅葱を調達した。

ぼくは京都『たる源』の湯豆腐専用の桶と炭を持参して、湯豆腐にまつわるうんちくを語りながら、トニーの家族と一緒に少し遅いお正月気分を味わったのである。

ぼくが日本のある雑誌に「挙げ句の果て」と書いているのを見て、年長のジャーナリストである畏友から、現代表記では「揚げ句の果て」と書く方が正しいとの指摘があった。ぼくは余り細かいことにはこだわらないのだが、その時、ふと、疑念が過った。

新聞社には「用語の手びき」なる本があって、校閲さんはその手引きに基づいて校正をする。従って筆者の意に反して、憂鬱は「憂うつ」、子供は「子ども」に書き換えられる。老若男女が毎日読んでいる新聞紙上では、このように乱れた熟語が氾濫しているから、美しい日本語に悪影響を及ぼすのである。

NHKでは、大地震を「おおじしん」と読むように定めているので、各民放も右へ倣えである。それでは、大震災も「おおしんさい」と読むのかとNHKに訊ねてみたら、「だいしんさい」だとの答えが返ってきた。一体何を根拠にして、日本のメディアは言葉の統一を図ろうとしているのだろうか。ぼくは主張する。大地震は「だいじしん」と読ませる方が、絶対正しいと信じて疑わないのである。

「揚げ句の果て」にしても、広辞苑では「挙げ句の果て」を採用している。他の辞書で「揚げ句」を採用しているものは、わざわざ「揚げ句」は「挙げ句」の意であると注釈をつけている。ぼくはむしろ「挙げ句の果て」の方が正しいのではないかと思う。現代表記では「揚げ句」が正しいと押し付ける日本のジャーナリズムは、正に言葉の帝国主義を彷彿させる。

ぼくの態度は急変するが、この有り難いご指摘をしてくださったのは、国際ジャーナリストの後藤英彦さん。今月の十八日に、ニューオータニ・ホテル(LA)で、彼の出版記念が催される。勿論ぼくも出席するが、高著『日本をダメにした官僚の大罪』(講談社)はまだ読んでいない。読書の楽しみが一つ増えたことは、ぼくにとって何よりも嬉しいことである。

明日の夜(十三日)は、クリスチャンの若者たちによって結成された、演劇グループの練習風景を見学しに行くことになっている。初演の脚本と演出はドイツ生まれの日系人プロデューサー、コルビー・鈴木さんが担当。ぼくは彼のボスからアドバイスを求められていて、ずっとそのままになっていたのだ。

演劇は素人なので、ぼくには難しいことはよく分からない。しかしその場が、切磋琢磨し合える集まりであることと、共に主を称えて賛美し、稽古に励みながら喜びを分かち合えれば、大変意義のあることであると思う。(2003年1月12日)

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