2003年2月5日水曜日

第十五回 ぼくが食べたかったもの

ぼくの講演会をやることになった。

第一部は田中保世さんのフラメンコ・ギターとフラメンコ・ダンス。第二部がぼくの講演で、演題は『言葉とハサミは使いよう』。内容は人間関係に油を注ぐ、おもろい話。子育てが、夫婦の会話が超楽しくなる。

この講演会は『ジャズと文学』シリーズで七年前にスタートした。今回は五年半振り、4回目を迎えた。第一部はジャズのライブの代わりに、本サイトでも紹介されているフラメンコ・ギターの名手、田中保世さんの白熱の演奏を堪能していただく。

さて、この度、ロサンゼルスの情報サイト、LAVoice.net に、ぼくの詩が掲載されることになった。更新日は毎月1日と15日、月に二編の詩を発表することになる。そこでぼくが懸念していることは、現代詩なるものは、よほど関心のある者にとっては興味深いが、難解で意味不明な言葉の羅列は、一般読者に於いては不愉快なコーナーになってしまうのではないかという心配である。

しかも『心のオアシス』というコーナーに掲載されるそうだ。ぼくの書く詩は、オアシスになるものもあれば、全く逆の詩もある。また、キリスト者として不届きな詩を書くこともある。ならば、このコーナーに似合った詩を書けば良いのではないか、という声が聞こえて来た。それでは、このような作風の詩を書く者であると印象付けられてしまう。ぼくは『詩』に関してだけ、自分を曲げてみたり、世間体やら周囲に対してへつらうことに、甚だ耐えられないのである。

LAVoice.netの担当者は、「どうぞ自由に詩を書いてください」と、好意的であるので、少しボルテージを落としながらも、ぼくは詩を掲載していこうと決心したのである。実はこの話、二年ほど前からあったのであるが、ぼくはずっと保留し続けて来たのだ。

第一回の『詩』は今月の初めに掲載される。詩のタイトルは『ぼくが食べたかったもの』。それでは、ここで詩の解説を簡単に述べさせていただこう。

精神異常の男は、自分がこれから食べようとするものを、一体何にするべきか一向に決断することができない。やがて男は、肉切り包丁を厨房から持ち出してきて、頚動脈に突き刺して死んでしまう。男は死というパフォーマンスによって、自分が食べたかったものをウエイトレスに悟らせたのである。
男は死んでしまったので、生前に食べたかったものが運ばれてきても、もはや口にすることはできない。ぼくはこの詩の続きを書くつもりにしている。

アメリカで二十年以上も生活を続けていると、食生活の貧困さに辟易する。超大国アメリカで何が貧しいかといえば、彼らの食に対する取り組み方である。缶詰を開ける。冷凍食品を電子レンジで温める。味付けは塩と胡椒、そしてケチャップだけである。フライド・チキンやフレンチフライ、そしてサラダ・ドレッシングには大量の油が使用されていて、健康を害する。パスタを注文すれば、湯冷めした、ふやけ上がった軟弱なスパゲッティーが皿に盛られて出てくる。量ばかりがやたらと多いのである。

アメリカで旨い、安い、ボリューム満点のレストランは中華料理だ。香港や横浜の中華街に負けずとも劣らない味覚と価格の設定。ところがアメリカの和食とフランス料理だけは、一部のB級グルメを取り除くと発展途上の道のりにある。例えば、アメリカに本格的なフランス料理店があったとしても、そこには食通を唸らせる季節の食材と有能なシェフが不在だ。

欧州へ行くと、小さな駅で売られているサンドウィッチでさえ滅法旨い。田舎のプチ・ホテルの一階で、パパさん、ママさんだけで商いしているレストランの料理にも感動を覚える。日本とて、まったく同様である。ところがニューヨークへ出張しても、アトランタに赴いても、サンフランシスコへ遊びに行っても、デニーズにケンタッキー、そしてマクドナルドとドミノピザである。アメリカ人の舌と胃袋には、食文化が一向に開花しないし、育たない。

かつて、アイリッシュ系の白人夫婦が住んでいたビバリーヒルズの邸宅で、ぼくは一年近く厄介になっていたことがある。往時、夢にまで見た『ぼくが食べたかったもの』は・・・ くさやのお茶漬け・・・ 

遠きにありて、今宵もぼくは想った。むろあじの、くさやのお茶漬けが無性に食べたいと。

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