2003年3月26日水曜日

第十九回 詩を書かない詩人

名優、森繁久弥さんは、「私は詩を書かない詩人」であると仰せられた。このことを始めて知った時、随分とキザなことを言う人だと呆れてしまったが、後になって森繁さんの意図するところが何となく分かってきた。

というのは文才のある森繁さんが役者として、歌舞伎でいうところの見得を切られたのではあるまいか、と察したのである。この見得には韻文、即ち詩は散文と異なり研ぎ澄まされた感性と卓越した技芸に熟達していなければ書けるものではないといった、詩に対する敬意が込められている。

先般、ロサンゼルスの日・英バイリンガルの新聞を読んでいたら、日本の新興宗教団体の会長がロサンゼルス市議会から、名誉桂冠詩人の称号を贈られた旨を大きく取り上げていた。ぼくは大きな活字で組まれた名誉桂冠詩人の見出しを見て、関係者には申し訳ないが苦笑してしまった。

元来、桂冠詩人というのは、古代ギリシアで名誉ある詩人の頭に月桂樹の冠を授与したことが起源である。従って「名誉桂冠詩人」となれば名誉が重複してしまう。

現代ではイギリス王室に慶弔の儀式に際して詩作する桂冠詩人が一人任命される。本来は第一人者が登用されるべきであるが、どういう訳か二流の詩人たちが歴代の名を連ねている。また、グレイのように卓越した詩人は桂冠詩人になることを断っている。

言うまでもなく名誉や権力に心が奪われるようでは、本物の詩人には成り得ないということである。贈る方も授与された側も、またそれを報道する機関も、詩というものに対しての純粋さが欠落してしまうと、飛んだ茶番劇に終わってしまう。

ぼくがいつも言っているように、詩を書く者は誰でも詩人である。だが、三好達治は詩を読み、詩を愛する者は既に詩人であると言うのである。まったくその通りだ。

ぼくは詩を書かない詩人を二人ばかり知っている。『羅府新報』編集長の長島幸和さんは少年時代に、将来は詩人になろうと思っていたらしいが、やがて詩人は職業にするものではないということを悟ったらしい。詩だけを書いて飯の種にするのは容易ではないからだ。もう一方(ひとかた)は、マーフィー図書館コンサルタントのエドワード E. 浅和さん。お二人とも詩をよく読み、心から詩を愛しておられる方である。

山口県出身の日系詩人、故加川文一の詩碑『海は光れり』が、年内にリトル東京に建立されるが、長島さんも浅和さんも、詩碑建立の為の実行委員を快く引き受けてくださり、仕事の合間を縫って奔走してくださっている。ぼくは実行委員長である作家の山城正雄さんがご高齢のために、彼の代役を務めさせていただいている。当初はLA在住の文芸人だけが発起人であったが、現在では山口県人会、東本願寺別院、日米文化会館、南加日商など、今後も支援、協賛団体が増える見込みである。詩碑が設置される場所は『リトルトーキョー・タワーズ』の前庭。隣接しているユニオン教会の駐車場からも行ける。

さて、イエス・キリストも「詩を書かない詩人」であったことをご存知だろうか。例えば『マタイによる福音書』の第6章25節から34節までを参照してみたい。

ここでイエスは麗かな自然を背景にして、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかといって思いわずらうな」と、私たちに諭してくれる。これは単に道徳的、宗教的な教訓にとどまることなく、神の摂理に満ちた美しい詩歌となって語られている。

また、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」と、さながら詩歌を調べるように、含蓄に富んだ神の理法の奥義を私たちに施してくださるのである。

それからもう一人、「詩を書かない詩人」がいたことにぼくは気付いた。その人の名前は中尾ひとみさん。サンタクララ・バレー日系キリスト教会、中尾邦三牧師のご長女である。彼女のことについては、改めて詳しく書くことにしよう。

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