過日、知り合いの老婆の見舞いに行って来た。大腿部を骨折して寝たきりの生活から、ようやく車椅子に乗れるようになるまで回復したところだった。ぼくが彼女の家を訪問して暫らく経ってから、二人連れの見舞い客がやって来た。
お手伝いさんがお茶をお盆に載せてキッチンから出てきた。老婆は三人の見舞い客に、先ず、か細い声でお茶を勧めたが、二人連れの七十半ばの女性が
「私たちは上等のお茶しか飲みませんことよ」
そう言って、一方の化粧の濃い五十絡みの女と顔を見合わせて、にんまり目じりを下げて笑い出した。
七十半ばの女性は立ち上がると、壁に掛けられてある日本髪の良く似合っている壮年の女性の写真を見ながら、
「この写真の方、あなたのお母さんの若いころでしょ」
老婆が頷くと、
「あなたよりアグリじゃない」
若い方の女が笑い出した。この二人は親子である。母親が自動車を運転できないものだから、派手やかな身嗜みの娘が付き添ってきたのである。
「ところであなた、お風呂に入っているの」
今度は、胸を突き刺すような甲高い大きな声で質問してきた。まだ傍にいたお手伝いさんが、
「当分は、お風呂もシャワーにも浴びることは出来ませんので、わたしが彼女の身体を奇麗に拭いて差し上げています」
「ぅわ、汚い!」
思い遣りが微塵もない言葉が返ってきた。続いて娘が
「まぁ、不潔なこと」
まるで、顔で人を切るように吐いた。
この毒舌親子は、二人ともシャネルの黒いバッグを持っていた。特に綺羅な娘の方は、大きな宝石の付いた指輪を四つか五つ指にはめていて、手首にはネックレスを何重にも巻きつけている。そして腕首には、いかにも高そうな金のローレックスが光っていた。
娘の方はこれからニューヨークへ赴くらしく、いったん母親を家に連れて帰ってエアポートに向かうので、時間を気にしだした。
「この子ったらニューヨークへ密会しに行くのよ」
母親は平然とした素振りで切り出した。娘は傍でへらへら笑っている。
「相手は有名人よ。プロ野球の監督」
母親はそう言ってから、娘の連れ合いが三年前に亡くなってから、監督の愛人になってしまったのだとつけ加えた。どうやら監督が来米する度に、逢瀬を重ねているらしかった。
ぼくが週刊誌の記者であれば、
「その話もらったよ!」
ってなぐわいに、スクープしたであろうに。だが、ぼくは根っから、ゴシップだの芸能記者などと呼ばれている職業に嫌悪を催すのだ。
この当て擦り親子を見ていると、大阪のホームレス歌人、ツネコさんの歌を思い出す。
「服はパリス、バックはシャネル、靴はイタリー、時計はスイス、中身はジャパン、頭は空っぽ」
彼女たちは最後まで、お茶には手を出さなかった。老婆は少しお疲れの様子だったので、ぼくも彼女たちと一緒に御輿を上げた。
少し気掛かりだったので、ぼくは翌朝電話を入れてみた。お手伝いさんの話しによると、86歳の老婆は精神面で調子を崩されたらしく、再び寝込んでしまったらしい。
老婆もお手伝いさんもクリスチャンなので、あの時、三人で手をつないで、祈ってから帰ればよかった。ぼくは心から後悔したのだ。
今からでも遅くはない。主よ!
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