2003年6月1日日曜日

第二十三回 エンジェルス・ツアー

1989年に日本のバブル経済が崩壊してから、ロサンゼルスの観光産業にも不況の波が顕著になってきた。

追い討ちをかけるようにして91年の湾岸戦争、92年のLA大暴動、93年のLA高級住宅街連続放火事件、そして、94年のLAノースリッジ大地震などによって、ロサンゼルスのイメージは下降の一途をたどって行った。

その頃、ぼくは小さな旅行会社を経営していたが、不況の煽りが徐々に強みを帯びて来たので、新しい商品開発に余念が無かった。

そこでぼくは、ロサンゼルスのツアー業界初の試みとなる大リーグ観戦ツアーを企てて、直ちにその準備に取り掛かったのである。

早速、シーズン中にドジャース・スタジアムで行なわれる全試合、三十席のチケットを購入。ある人物を仲介して、不可能だとされていたバックネット裏の席を確保した。

LAのドジャース・スタジアム観戦ツアーがメディアでも紹介されて、後は予約が入るのを待つだけだった。ところが、運悪くして91年の一月十七日に湾岸戦争が勃発、旅行業界は瀕死の状態となり、丸二ヶ月間、ぼくの会社の電話は、一つとして鳴らなかった。

大リーグの開幕は三月の下旬、ぼくは毎朝テレビの湾岸戦争のニュースに釘付けになった。いよいよ会社は運営のための資金繰りに事欠き、ぼくはローンや給与支払いのための金策に奔走しはじめたのである。

やがて湾岸戦争は大リーグの開幕前に終結したものの、当分はビジネスマンや観光客の足が、ロサンゼルスから遠のくのは必至である。金庫の中では一年分のチケットが眠っている。ぼくはダウンタウンのホテルに電話をかけまくって、予約状況を調査したが、どこのホテルでも向こう二ヶ月間の予約状況はかんばしくなかった。事態は深刻である。

そんな折に、取引会社からグランドキャニオン日帰りツアーの、ホテルとエアポートの送迎の仕事が毎日入って来た。大手からの孫受けの仕事であったが、お蔭で首がつながった。

そうこうしているうちに、ぼくの会社の電話もぽつりぽつりと鳴りはじめた。しかし観光客の殆どが、夜は危険なのでホテルから出ないようにと、添乗員さんから釘を刺されているらしかった。海外旅行にやって来て、夜の街へ繰り出せないというのも、何だか冴えないものである。けれども、複数で参加できる安全なナイト・ツアーであれば良いらしい。

蓋を開けてみると、塞翁が馬。グランドキャニオンから帰ってくるお客さんの殆どが、今晩の大リーグ観戦を希望される。各ホテルからの予約も良好である。そのうちに大手旅行会社からも予約が入りはじめた。

このような訳で、ドジャース・スタジアムで試合のある日は、ダウンタウンのホテルから『エンジェルス・ツアー』の観光バスが出発した。そして来年(92年)には、アナハイムにあるカリフォルニア・エンジェルスの試合もツアーを催行することになった。

大リーグ観戦ツアーは、95年までぼくの会社(エンジェルス・ツアー)のドル箱ツアーとして活躍したが、野茂英雄選手のドジャース球団入団以来、大手をはじめとする各旅行会社が、大リーグ観戦ツアーに参入し始めたので、面白みが半減してしまった。今日では、日本人大リーガーの活躍を一目見ようと、大リーグ観戦ツアーは大盛況である。そのパイオニアがエンジェルス・ツアーであったと、ぼくは胸を張っている。

その後、ぼくは斬新なツアーの開発に躍起になった。だが、独自に開発したツアーが反響を呼ぶと、他社に直ぐ真似をされてしまうのである。それではと、ぼくはハリウッドの俳優協会に掛け合って、往時チューインガムのTV・CFに出演していた、双子の女優さんの起用許可を得た。今度はハリウッドの女優さんたちがエスコートする、ヘリコプターとデナーを組み合わせたナイト・ツアーを、LAの経済紙に発表したが、泣かず飛ばずのうちに消滅してしまった。

エンジェルス・ツアーの名前の由来は、天使の住む街、ロサンゼルスからであるが、もう一つは、御使いたちにいつでも守られますように、との願いが込められている。そして、イエス・キリストからの恵み無しでは、ぼくはこの仕事をやっていけなかったのである。

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