2003年7月22日火曜日

第二十六回 エーメン

2000年10月、初めてのニューヨーク、ぼくも細君もガイドブックを片手に摩天楼を見上げながら歩いた。二人の出立ちは誰が見ても御上りさんそのもの。慣れない土地柄と旅の解放感から、つい気が緩んでしまう。  

昼過ぎ、ニューヨークの地下鉄に初めて乗った。デューク・エリントンが作曲した『A列車で行こう』は、マンハッタン発ハーレム行きの地下鉄のことである。ぼくは扉の直ぐ横にある隙間に、背筋をペタリと付けて立った。細君はぼくと向かい合って、ぼくの上着の内ポケットに入っている財布を、しっかり握りしめながら何やらブツブツ独り言をいっている。
「スリに盗られないように気をつけてね、わたしがしっかり見ててあげるわ」
二つ目の駅に到着して列車の扉が閉まろうとした時、細君が大きな声を上げた。瞬く間に彼女の顔色が変わった。

まんまとスリにやられてしまったのだ。細君は往時流行っていたリックサック・スタイルのバッグを背中にかけていた。鍵のかからないジッパー式のものである。現金450ドルが入っていた財布だけが抜き取られている。

後ろでごそごそするので、不審を抱いていた矢先だったと彼女はぼくに説明したが、後の祭りである。ぼくは犯人らしき男の顔を目撃している。年齢は二十歳過ぎ、中肉中背の黒人の男性であった。上気した細君の顔は、ショックと悔しさが綯い交ぜになって、少し蒼ざめて見えた。

細君は次の駅で降りて駅員にリポートすると言い出したが、現金など戻ってくる訳がないので、ぼくは彼女を宥めて諦めさせた。けれども悔しい気持ちがなかなか治まらないようなので、気分を一新させるために、エンパイヤ・ステートビルの展望台に上ってみた。

「きっとニューヨークのスリ集団の巣窟はあの辺りにあるに違いない」
ぼくは望遠鏡を覗き込みながら細君にそう言った。
「あいつ、450ドルも盗んでおいて、いつもと同じハンバーガーを食べているわ」
ぼくから望遠鏡を奪うと、ファインダーを覗きながら細君が言った。

この後、ワールドトレード・センターを見学してから、バッテリー・パークのフェリー乗り場まで歩いて行き、自由の女神へと観光する予定にしていたが、途中でぼくの足が疼き出したためにリタイアしてしまった。

そもそもニューヨークへはスニーカーを履いて行くつもりにしていたのだが、LA近郊のアウトレットへ出向いた折に、ニューヨークへ履いて行く革靴を購入しろと細君が言う。いつになく彼女は引き下がらないので、ぼくは新品の革靴を履いてニューヨークへ赴くことになってしまったのだ。

ぼくは道路わきのベンチに座り込み、靴擦れした両足の踵(かかと)を外気にさらした。足がとても痛くて、もうこれ以上一歩も歩けない状態になってしまった。
「そもそも君が革靴を履いて行けと言い出すものだから・・・ 」
犬も食わない夫婦喧嘩が始まった。結局この日はチャイナタウンまで裸足で歩いていって、夕食を済ませてホテルに戻った。

翌日の日曜日、黒人教会の礼拝に出席するべく、朝早くから細君と二人でハーレム界隈を散策した。まずはアポロ・シアターからコットン・クラブまで、125街を闊歩した。

ぼくたちが飛び込みで礼拝に参加した教会は、300人ほどの信徒が礼拝堂に集まっていた。全員がアフロ・アメリカ系の人たちである。600の眼が一斉に「よそ者」に視線を注いだ。ぼくと細君は少し緊張しながら、後ろから二番目の席に座った。

この日の礼拝は、婦人会のメンバーたちがパフォーマンスする特別礼拝であった。普段、アトランタで奉仕をしている黒人女性の宣教師がメッセージを取り次いだ。保守的な教派に属している教会のせいか、讃美の仕方が想像を遥かにこえておとなしい。

ハーレムの治安は一頃と比べると随分と良くなった。とガイドブックに書いてある。だが、呉々も裏道や路地などは歩かないようにと、ガイドブックは警告している。礼拝が終わって、周囲の信徒の方たちと挨拶を交わしてから、ぼくたちは教会の裏口から出た。

道路を一つ隔てて、斜め向かいに小さな教会が見える。どうやらその教会の入口は、路地の奥の方にあるみたいだ。細君と二人、暫らくの間その場に佇んでいると、その教会の中からアカペラの合唱が聞こえて来た。
「♪ エーメン エーメン ・・・・・・」
シドニー・ポワチエ主演の映画、『野のユリ』の主題歌にもなった『青年聖歌/88番』だ。ぼくと細君は、アカペラの合唱が聞こえてくる路地の奥の方へ、自然と誘(いざな)われた。

ハーレムの「エーメン」は朝露の玉のように、美しく転(まろ)びながら、爽秋の高天に共鳴していた。

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