先日、久方振りに日本の母に電話を入れた。別段、用件がある訳でもなかったので、たわいのない話でお茶を濁していたら、母が矢庭に
「もうそろそろ日本へ引き上げてこないか」
と、言い出した。ぼくは寸刻の間、母が何を言わんとしているのか、また、どのように返事してよいのか躊躇ってしまった。短い沈黙の後で、
「この年齢になって日本へ帰っても、仕事が見つからないよ」
ぼくは少し投げやりに言った。
「そうかねぇ」
と、母は低い声でひとこと添えてから、
「こないだ清子に託したラッキョウは、どうだった」
母の明るい声が、ぼくの耳に飛び込んできた。
「もうそろそろ日本へ引き上げてこないか」
と、言い出した。ぼくは寸刻の間、母が何を言わんとしているのか、また、どのように返事してよいのか躊躇ってしまった。短い沈黙の後で、
「この年齢になって日本へ帰っても、仕事が見つからないよ」
ぼくは少し投げやりに言った。
「そうかねぇ」
と、母は低い声でひとこと添えてから、
「こないだ清子に託したラッキョウは、どうだった」
母の明るい声が、ぼくの耳に飛び込んできた。
先々月、姉(清子)の長男がラスベガスで結婚式を挙げた折に、母が漬けたラッキョウを姉が土産として持参してくれた。母のラッキョウ漬けは甘さが控えめで、カリカリとした歯応えがある。その上、新鮮なラッキョウ独特の臭気が、ひときわ鼻をついた。お陰で、初夏のおふくろの味を朝な夕なに堪能することができたのである。
アメリカで長期にわたって生活をしていると、何よりも辟易することは、その日の糧である。大阪から京都へ向かうと、距離にして僅か40キロメートル程しか離れていないのに、大阪には無いような珍しい食材やら食い物屋までが、商店街にわんさと軒を連ねている。
ロサンゼルスからニューヨークまで約5300キロメートルも離れているというのに、一向に代り映えがしないフード類。稀に東部へ赴けば、マンハッタンのデリには滅入るばかりである。気が付けばチャイナタウンかリトル・イタリーに足が向いている。
以前、アラバマ出身のアメリカ人がロサンゼルスに来る度に、アテンドしなければならない時期があった。ランチやディナー・タイムが近づいてくると、彼に食事のお伺いを立てるわけだが、その度にチーズ・バーガーと答えるので、周囲の日本人を困惑させていた。
田舎へ行くと空気が美味しくて、自然が美しい。これは日本もアメリカも同じであるが、アメリカの場合は田舎へ行けば行くほど、食事時になると缶詰を開けるか、冷凍食品を電子レンジで温めるだけである。
その点、日本の田舎は海の幸、山の幸の宝庫である。しかも北海道や東北、四国、九州といった地域によって、近洋で水揚げされる小魚の種類や、野山で採取される山菜の風味が、微妙に違っていて乙な味がする。
鮨に天ぷら、すき焼き、しゃぶしゃぶ、とんかつに焼き鳥、ラーメン、カレーライスなどは、今や世界中の主要都市で味わうことができる。
年のせいか近ごろ頓に、日本の四季折々の素朴な味が恋しくなってきた。筍、ぜんまい、土筆(つくし)、独活(うど)、蕗(ふき)、芹(せり)、水茄子、京野菜、日本近海で捕れる魚介類、そして、何と言ってもおふくろの味だ。
その昔、ぼくは宵々に板前割烹の店へ「勝負」をしに出掛けたことがあった。評判の料理屋を嗅ぎ付けては、花板の前に独り陣取って、酒を呷りながら板前のプライドを傷つけないように、食材や調味の講釈をたれるのである。
カウンターの隅でぽつねんと飲んでいる時などは、よく同業者と間違えられて警戒されたものだ。理由は、当時のぼくの風貌が色白で、頭を角刈りにしていたからである。
一般の客であれば、大概は刺身、焼き物、煮物、椀物といった順に注文をするが、例えば同業者が客であったりすると、煮物ばかりを三種類オーダーすることがある。その訳は、刺身や焼き物は素材そのものの鮮度によって味が決定するが、煮物だけは吟味された食材と、板前の腕が最も試される一品であるからだ。
ぼくは今までに、板前さんと揉めたためしがない。それどころか、再三再四通っているうちに、気心が知れて過分なサービスを受けたことが山ほどある。ぼくはプロの業を盗んでは、自宅の厨房で料理をこしらえた。このことは往時のぼくにとって、ストレス解消法の一つでもあった。
実はアメリカにも飛切りにうまい料理がある。それはサンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨークのチャイナタウン辺りで食べる中華料理だ。食味の方は香港、東南アジア、日本、フランスの中華料理に匹敵する。いや、それ以上かもしれない。価格も東南アジアの次に廉価である。海鮮料理を味わうにしても、フィッシャーマンズ・ワーフに行くよりも、チャイナタウンを推挙したい。
ロサンゼルスのチャイナタウンに、安価で滅法うまい食堂がある。場所はブロードウエイ通りの北の場末、屋号は『チャイニーズ・フレンズ』。以前、このレストランを地元の新聞と日本の雑誌に、紹介記事を書いたことがある。取り分けこの店のチャーハンは特筆もので、味にうるさい地元華僑の老若男女が、連日、喉を唸らせては舌鼓を打っている。
近辺には、ここよりも佳味なチャーハンを食べさせてくれる有名店がある。但し、代金は『チャイニーズ
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