2003年11月19日水曜日

第三十四回 或る板前の言動

 回転ずしは「安かろう不味かろう」と陰口を叩かれていた時代が長く続いた。ところが昨今の日本の回転ずしは、トレンディーなレストランへと様変わりして、デフレの影響なども受けて「うまい、安い、早い」が売り物だ。

 粗方二年ぐらい前になるだろうか、昼時に大阪市内の商店街を歩いていたら、「食べ放題、一人1000円」の看板が目に入った。ぼくは不安と期待を胸に、回転ずしの暖簾をくぐってみることにした。

 ネタの鮮度は及第点、サービスもまあまあ、チップなんぞも要らない。ドルに換算して9ドルぽっきり。この店は格別安いとしても、日本へ行くと一人2、3千円も出せば、うまいすしが腹いっぱい食える御時世である。

 先日、ウエストLAで働いている友人をランチに誘ったら、うまいすし屋が近所にあるので、そこへ行こうと案内された。

 清潔感に溢れた雰囲気の良い店内には、若い白人の客が何人かいた。正午を少し回っていたが特別混雑はしていなかった。ぼくたちはすしバーに座って、迷うことなくにぎりを摘むことにした。

 カマス、サヨリなど、アメリカのすし屋にしては珍しいネタが幾つか揃えてあり、吟味されたすしダネにはそれなりの仕事が施されてあった。

 目の前に出てきたすしはというと、シャリも小さいがネタも小さい。しかも一カンずつ出てくるのでじれったい。まるで酒を飲む客への配慮とペースである。

  にぎりを十カン食べたところで、
「そろそろお腹が一杯になって来ましたか」
 と板前さんに促されたので、
「もう少しにぎってほしい」
 と伝えた。ぼくは冗談じゃないと思った。是式ではアペタイザーとスープを食べ終えた程度だ。これからがメインではないか。

 摘んでも摘んでも腹の虫はグーグー要求するが、高そうな店だったので懐具合を考えると、そろそろ止めた方が賢明だと思った。

 最後にアサリの味噌汁が出た。鰹のだしがよく利いていたので、ぼくは愕然とした。貝類の出し汁には旨味が十分含まれているので、せいぜい昆布だしにアサリの酒蒸しを合わせて、八丁味噌で仕上げるのが一番うまい。

 ここのにぎりにしても、ツメや柚子ならまだしも、板前さんがむらさきをあらかじめネタの上に塗ってから、すしバーの前の客にサーブする。気持ちは分かるが、このような流儀は、まだすしを食べたことのないアメリカ人だけにしていただきたい。しょう油にしてもすしダネにしても、そこまで気を使うほど上等な食材は使っていない。

 翌日、モントレーパークにある行き付けのすし屋へ独りで赴いた。「うまい、安い、ネタにボリュームあり」。オンザハウスで、カマトロを炙ったにぎりが出た。値段を気にしないで、お腹が一杯になるまですしをぱくついた。これでようやくすしを食べたという充実感に浸ることができたのである。

 過日、ある会合が終わってから世間話をしている時に、皆の前で知り合いの壮年の女性が、美味しいと評判高いオレンジカウンティーにあるすし屋へ、同年の女友達を誘って食事に出掛けた折の出来事を話してくれた。

 カウンターの前に座ってすしをオーダーする際に、連れの女性の方が板前さんに
「山葵抜きでお願いします」
 と伝えたら、
「あんたなんかにすしを食べる資格はないよ」
 いきなり板前は語気を強めてそう言ってから、プイッと背を向けて、奥に引っ込んでしまったというのだ。

 聞くところによると、その店には有名人が客としてよく出入りしているらしく、板前さんも彼らには大層愛想が良いらしい。だが、一方では板前の無礼な発言と横柄な態度で、楽しいはずの折角のディナーが台無しになってしまった。

 板前に一喝された女性は、一瞬ショックでこわばってしまったそうだが、帰宅してからも不愉快な思いに心が沈むほどであった。

 まだ悟りを得ないのに、得たと思ってたかぶることを増上慢(ぞうじょうまん)と言うが、このように、何か勘違いをしてすしを握っている板前さんは、なんと哀れな方だろう。

 「人の心の高ぶりは滅びにさきだち、謙遜は栄誉にさきだつ」(箴言1812)。聖書の御言葉が、ぼくの脳裏をかすめた。

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